日本に広がったウイルス性肝炎は、そのほとんどが、輸血や注射や予防接種に寄るものと言われています。しかし、訴訟などで解決ができる証拠のない人がほとんどです。証拠が無くても当時の医療がつくり出した問題であることは間違いないと言えます。
そんなひずみがある状況から問題が生じています。それは、訴訟を起こせる患者さんを起こせない患者さんがねたむ気持、また訴訟を起こしてお金だけもらえればいいんだといった人たちがいることになってきてしまうことは避けられないことだと思います。それでも、この問題を自分だけの問題ととらえないで、すべての肝炎患者が救われる運動にする必要があると感じています。
肝炎患者全体でひとりの個人といった感覚で、対応する必要がある。もちろん、忙しかったり、偏見や差別があったりと、みんなが行動できない部分もたくさんあります。それでも、そういう視点をもって行動や運動を続けない限り、国は、訴訟が終わったら何もしなくなるでしょう。
訴訟を起こしている方の一部には自分だけ助かればいいという感覚でいる方もいます、しかし、訴訟を起こしていくことで問題をみんなに知らせて、それによって訴訟で救われない人たちも、みんな救っていけるきっかけにしようと、がんばっている人たちがとってもたくさんいることを忘れないでください。そして、自分たちが,そういう人たちを応援することで、救済の道が開けてくるという視点を、持ち続けてほしいと思います。
病気で辛いときに、なかなか、そうは思えないのですが、そういう視点って大事だなあって思うことでも充分ですから、是非みんなが安心して暮らせるよう、頑張って行きましょう。
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そんなひずみがある状況から問題が生じています。それは、訴訟を起こせる患者さんを起こせない患者さんがねたむ気持、また訴訟を起こしてお金だけもらえればいいんだといった人たちがいることになってきてしまうことは避けられないことだと思います。それでも、この問題を自分だけの問題ととらえないで、すべての肝炎患者が救われる運動にする必要があると感じています。
肝炎患者全体でひとりの個人といった感覚で、対応する必要がある。もちろん、忙しかったり、偏見や差別があったりと、みんなが行動できない部分もたくさんあります。それでも、そういう視点をもって行動や運動を続けない限り、国は、訴訟が終わったら何もしなくなるでしょう。
訴訟を起こしている方の一部には自分だけ助かればいいという感覚でいる方もいます、しかし、訴訟を起こしていくことで問題をみんなに知らせて、それによって訴訟で救われない人たちも、みんな救っていけるきっかけにしようと、がんばっている人たちがとってもたくさんいることを忘れないでください。そして、自分たちが,そういう人たちを応援することで、救済の道が開けてくるという視点を、持ち続けてほしいと思います。
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