肝炎対策基本法案が今の国会で成立するか注目されていますが、C型肝炎患者への支援内容に比べ、B型患者には手薄なのが実情です。
国の責任を明確にするために裁判で争っているB型肝炎患者の男性を取材しました。
清本太一さん(32)は、広告制作会社のデザイナーとして働きながら、B型肝炎訴訟の原告の1人として、国を相手に裁判を続けている。
清本さんがB型肝炎だと知ったのは、18歳の時にたまたま行った献血だったという。
清本さんは「キャリアって知ったときに、もうすでにひょっとしたら30ぐらいまでしか生きられないっていう覚悟があったんで、今30超えたら、ある程度、おまけみたいな感じなんですよ、僕にとっては」と話した。
B型肝炎の場合、ウイルスに感染してキャリアとなるのは、基本的に免疫力が弱い乳幼児の時期に限られる。
そのため、母子感染以外のB型肝炎は、乳幼児期の集団予防接種による連続注射が疑われてきた。
1989年、B型肝炎は、集団予防接種が原因として、5人の患者が国を提訴し、17年後の2006年、最高裁は国の責任を認める判決を出した。
B型肝炎訴訟弁護団長の佐藤哲之弁護士は「(B型肝炎の)最高裁の判決は、大方の人がそういう集団予防接種によるものである、こういう判断が前提になっている。したがって、国として救済策を講ずるべきだと、そういう強いメッセージを込めた判決だったんではないか」と話した。
しかし、厚生労働省は、B型肝炎患者全体の救済に応じず、最高裁判決は5人の原告のみが対象と主張した。
事態を打開するため、2008年、全国のB型肝炎患者が新たに国を提訴し、この時、清本さんは実名で裁判に加わる決意をした。
清本さんは「国は、直ちにわたしがB型肝炎ウイルスに感染した責任を認めてください。わたしもわたしの家族も、そのことだけを望んでいます」と話した。
娘2人の将来を考えて裁判に参加した清本さんだが、数年ぶりに受けた検査結果は厳しい現実を突きつけた。
清本さんは「肝硬変になっていますよという話で、ショックでしたよね。何か5年くらいで、また肝がんとか、すぐなっちゃうようなっていう不安みたいなものは、正直あるんですよね」と話した。
まだ幼い娘たちのため、少しでもお金を残したいという思いから、清本さんは仕事にのめり込み、1日20時間以上働く日々が続いたという。
いつまで生きていられるのかという不安と焦り、やがて裁判と仕事、体力と精神のバランスを崩し、緊急入院する。
そして、気持ちのすれ違いが重なり、清本さんは離婚した。
今、清本さんは、アパートで1人暮らしをしている。
2人の娘は、妻が引き取った。
清本さんは「やっぱり、肝硬変って言われると、イコール肝がん、死と。嫁は、ものすごいショックだったと思うんですよね。涙も流したし、お互い受け止めきれなかった部分はあると思うんですよね」と話した。
肝硬変に進行すると、がんや肝不全、静脈りゅう破裂などによる死亡リスクが格段に高くなる。
しかし、ウイルスを抑える拡散アナログ製剤で、B型肝炎の肝硬変を治せる可能性が出てきたという。
札幌緑愛病院・肝臓センター長(肝臓専門医)の川西輝明医師は、「拡散(核酸の間違い)アナログ製剤が出てきたおかげで、進行が止まったり、改善するということが起こってきたということでね、本当に早いうちに治療すれば助かるけども、治療してない、わかっていなければ、もうすぐ死ぬっていうようなね、状況にもなり得るっていう」と話した。
2008年から拡散アナログ製剤の服用を始めた清本さん。
B型肝炎患者にとって、命綱ともいえる薬だが、厚生労働省は治療費の助成対象にしていない。
こうしたことから、原告団は、国の責任を明確にした法律の必要性を痛感し、今国会での成立を目指して活動している。
そして、裁判についても新たな動きが出てきた。
厚労省の肝炎問題を担当する山井政務官は10月16日、裁判で争っているB型肝炎原告団と異例の面会を行い、早期解決の考えを明らかにした。
山井政務官は「最高裁の訴訟におきましても、5人だけの問題ではないというふうにわたしたちも受け止めております」と語った。
清本さんは「僕はまだ5年、10年は持つと思うんで、のんきにしていられますけど、現在、闘病中の方とか、高齢の方たちは、もうあす、あさっての問題なんですよね」と話した。
提訴から1年で、6人の原告が他界したB型肝炎訴訟。
傷つけられた心と体、そして家族との関係、それでも清本さんは、早期解決を求めて歩みを止めない覚悟だという。
(11/24 00:19)
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