がん治癒への道の中の264ページにあります。がんに取り組んでいる患者さんへ向けての闘病者の手紙の1部で私が経験を語っている患者さんで、その妻が援助者(語っている患者さんを支える人)となっています。経験を語っている患者さんである本人は、会社の経営などばりばりやってきた実業家という背景があります。
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妻は、明らかに自分の欲求よりも、私の欲求を優先させようとしていました。妻は、私が困難な時期を乗りきれるよう援助するために自分が犠牲になる必要がある、と感じたのです。これは一件論理的の考えのようですが、私の重体の期間がどのくらい続くかを誰も予測できないという点が問題となります。入院していたとき何度か妻の体と精神がすり切れそうになっているのに気づきました。私は、妻に1,2週間自宅に戻って、バッテリーを充電してくるようにと言いました。案の定、なつかしい我が家、友人たち、慣れ親しんだ環境、ベッドなどが妻の元気を驚くほど回復させたらしく、見違えるようになって帰ってきました。そのため私と妻の関係はさらに快適なものになったのです。
これをきっかけにして、以前、仕事中毒になりがちの工場長たちに向けて自分が行っていた忠告を思い出しました。当時、工場長たちは仕事をきちんとこなして家族を養うためには、とにかく長時間働かなければならないと思い込んでいました。私はこう指摘しました。「自分自身のことをないがしろにしていたら、仕事も家族も養うことができなくなりますよ」と。自分の欲求を満たすことは利己的な好意だと考える人達もいます。しかし、自分の欲求を満たしてやらなければ、長期間にわたる質の高い援助を他人に与えることは不可能になるでしょう。妻や夫が重病人になると、その配偶者の欲求は減少するどころか、かえって高まるようになるのです。
援助グループのメンバーも欲求不満に陥ることがあるでしょう。生命を脅かす病気によって、家族のメンバーも、人生には終わりがあるということをはっきりと知らされるのです。これまでの人生で、自分もいつかは死ぬのだという問題に取り組んでこなかった人達にとって、このような状況はとても乗り越えがたいものとなるでしょう(これは社会の大半の人に当てはまるようです)。こうして、自分の感情がまったくコントロールできなくなり、懸命に援助している家族に悪い影響を及ぼすような行動をとってしまうこともあるのです。他人に対して肯定的な貢献を行うためには、何よりもまず自分自身を支える態勢を整えることが必要です。
このような点に十分注意することが大切です。健全な援助者は大きな助けとなりますが、精神的に不安定な援助者は、病気という重荷に新たな負担を付け加える可能性もあるのです。あなたは自分の集中力が弱まり、エネルギーが垂れ流しにされるような状況を求めてはいけないはずです。そうであるならば、援助者がみずからの欲求を満足させる機会を認めてあげてください。もし不十分なときには、あなたのエネルギーを弱めないためにも、彼らに「自分自身の欲求を満たすように」と強く進言して下さい。
妻の援助を受けることが、私にとって容易だったわけではありません。私は独立独歩の人間であり、だれかに援助を求めることにはもともと不慣れでした。事実、私は援助を求める行為は弱さや失敗を意味すると思い込んでいたのです。しかし、やがて健康がさらに悪化していき、選択の余地がなくなりました。だれかの援助なしには自分の欲求を満たすことができなくなったのです。私が妻やその他の援助者に自分が必要とするものを素直に頼み始めたとき、たぶん状況はだれにとっても、より心地よいものに変わっていったのです。
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この部分の意味するところは、いろいろあるかと思います。自分自身は、仕事中毒になっていた時期がありましたし、実際今も近いものがあるかもしれません。でも、意識して自分が満たされることを注意していくことでかなり以前より気持ちが楽になりました。いろんなパターンがあると思いますが、ひとつの参考になれば幸いです。