徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

桝井さん

2008-04-15 23:58:22 | LB中洲通信2004~2010
午前中原稿。夕方から渋谷で『タカダワタル的ゼロ』のプロデューサー、アルタミラピクチャーズの桝井省志さんに話を訊く。いよいよ公開は来月。5月17日の公開記念オールナイトイベントでは<幻のオールカラーFOLKドキュメントシネマ>『吉祥寺発 赤い電車』(半分のみ)上映。三上寛のライブもあるぞ。

で、せっかくドキュメンタリー映画の取材で、敏腕映画プロデューサーのインタビューだからと、今何かと話題の<YASUKUNI>についても話してみた(本題とは別だから書いちゃうが)。まあ結論は単純なもので「ドキュメンタリーは監督の主観である」に尽きた。これは前々からオレも感じていたことだけれども、ドキュメンタリーはフィクションである、とまで言い切ってしまうと乱暴だが、監督の作家性に拠るものが大きいのだから、ここまで大騒動になるほどのことまでではないわな。
周囲に目配せしたようなつまらない客観よりも、多少は乱暴でも主観の方が面白かったりするのは当然なのだ。

人間だもの(非みつを)。

ただし『タカダワタル的』他、アルタミラの音楽ドキュメンタリーシリーズはまったく<主観>を排したコンセプトで作っているようですが…この辺がドキュメンタリーの奥深さです。