昨年、おかあさんが怪我(怪我と言っても外傷でないのでなんだか違和感があるのですが)をして入院したのが4月1日。
おとうさんの誕生日でした。
先週の日曜日、おとうさんは草野球の試合中にアキレス腱を切ってしまい、次の水曜日に手術のため入院しました。水曜日は6月4日、おかあさんの誕生日でした。
そのことを聞いたおねいちゃんは「へぇ、お母さんたち、仲がええんや」
奇しくもとか、偶然にとか、はたまた夫唱婦随・・・?
いやいや、おかあさんは傲慢でいらいらして怒鳴るおとうさんにほとほと嫌気がさしています。
手術の後、3日もすれば点滴も終わり入院していても何もすることがないのですが(ギブスをしているのでリハビリもできない)退院してきたら面倒だからと、退院を延ばしてもらいました。
でも、今日は退院の日です。
おかあさんは、嫌やなあ、あんな人と一緒に居たくない、と思っています。
お見舞いにもらったケーキ(病院の怪我人へではなくて、おかあさんにです!なんて気のきくいい人なの!!)おとうさんといっしょに食べるのはいやだから、でも、ケーキはしあわせな気分で食べたいけど、そんな気分になれない、食べたらしあわせな気分になれる?とか、なんとか思いながらひとりぽっちで食べました。
自分の連れあいのことを好きだの、ほめるだのすれば、たいてい「ごちそうさま」なんて言われそうですが、聞いている方としてはとても新鮮で(そうそうほめる人は少ないから)心地いいとおかあさんは感じます。
いっぺん「うちの旦那さんはやさしくて思いやりがあって頼もしくって頼りがいがあって」なんて言ってみたいものです。
退院のお迎えに行くのいややなあ、と思っていると、、、、、、”Charity begins at home"、、、ラジオの英会話番組から聞こえてきました!
そうなんですか
このお話にコメントは難しいです
相槌も打てませんし 説教も出来ませんから
夫婦でないと解らないことがありますものね
私はラッキーです 嫌いにならないうちに 嫌なところが見えないうちに亡くなったから 悲しみを乗り越えた健気な未亡人です
今は本人も動けなくていらいらしています。
そこを大目にみてあげられないのは、やはり、あんまり好きじゃないからなのでしょうね。
ふくちゃんの旦那様は立派な方でしたもの。
”Charity begins at home"ですか・・・
遠くの親戚より近くの他人と言われていますが、
一番近くの他人はそれぞれの伴侶かもしれませんね。
大事にしてあげてください。
お互い怪我をした日がお互いの誕生日。
何かの因縁でしょうか。
お嬢さんが言われるように、目には見えない深い
ところで結びついている仲良しさんかもしれませんよ。
とはいうものの、momosukeさんの気持ちもわかります。
夫婦関係は複雑ですものね。
へんなコメントでごめんなさい。
人というものは知らず知らずのうちに他人様と己を比べる習癖があります。その結果、嫉妬、不満が渦巻き、諍い、争いへと繋がるようです。
もも君とももパパさんを無意識に比べるのは避けられないとしても、でもまあ、意識しての~んびりとお気楽にがよろしいのではないでしょうか。
年を取るごとに、話し相手のいることの幸せを痛感します。ももパパさんが傍にいるだけで・・・、このうえない贅沢だと思いますよ。
私に知り合いにご自分の主人をほめそやす人がいます。
それほど愛情が深いのかと思えば、見ているとそうでもないようです。
夫婦の感情って複雑で難しいですね。
適当な距離がある方がうまくいくような気がしますが、
如何でしょうか。
ときどき、夫婦って何だろうなぁと思います。
私は、まず、自分のコトが優先の我が儘な性格
ですので、結婚してたら、まずは主人をたてる
という言葉は大嫌いですね(笑)
やはり、嫌なとこもあり、尊敬できるところも
ありと言うような、そんなご夫婦が嫌味がないですね
ですが、末筆ながら、ご主人、お見舞い申し上げます。
ここに書いて、聞いて、聞いてと書き散らして、コメントをいただくほどありがたいことはないと思っています。
いつも丁寧にコメントくださってありがとうございます。
書くことで自分の気持ちが整理でき、一番身近な他人を眺めることができる、というものですね。
ついつい人をうらやんでしまいます。
本当に、話し相手がいることだけでもありがたいと思わなくてはなりません。
しかし、どうして相手もそう思わないのだろう、と、、、これがイケナイ(~_~;)
夫婦の形態はそれぞれなのですねぇ。
いつまでも愛だの、好きだのと言っているのが少し恥ずかしいです。
でも、尊敬はしたいです、ですけれど、嫌いになったら尊敬できません(苦笑)
痛さと思い通りにならない苛立ちを受け入れてあげる許容量が私には不足しているようです。