さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

無題

2008-11-16 23:22:01 | Sunday 集会・生活
 『私は主(しゅ)を愛する。
  主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。

  主は、私に耳を傾けられるので、
  私は生きるかぎり主を呼び求めよう。』

                     (旧約聖書・詩篇116篇1-2節)



  どの口がそれを言うのか。

  それは、本日、看護師3名+ヘルパー2名のみで患者さん40数名みなければならなかった者。
  (そして、それはごく日常でもある)

  それは、朝、今日が一日無事に済むように、と祈り、
  ちょうどパン裂き(聖餐式)の頃、それが守られますように、と、
  作業をしつつ、ネヘミヤ 1)のような短い祈りをした者。
  (・・・と、言うのも恥ずかしいが、たぶん、それは世界のあちらこちらで、言わずともささやかに、あること。

   もし、自分が出席できたとしたら、
   誰かが、そのために犠牲にならなければならない。

   加えて、年配の方も多いと、
   ときとして、パン裂きの最中に救急車、という事態だって起こる(実際、起こった)。

   ・・・何もない、というのはありがたい。)


  それは、いつもより早く、まだお店が開いている時間に帰ることができた者。
  (日勤で、21時や22時前に帰れるのは、ひっさびさ♪)


  それは、帰ったとき、良い知らせを受け取った者。
  (そうか、そうか。今日の福音集会、良かったのか。そいつは良かった)


  それは、その昔、先輩の兄弟(故)から
  「祈りで、人を動かすように」
  と言われた者。
  (彼もまた、さらにその前の先輩から言われた、とのこと。
   そうなるためには、どれほど祈りに専念しなければならないことか。
   どれほど、神様の-人の、ではなく-みこころにかなった歩みをしなければならないことか。)

  ・・・祈り-ああ、(ある意味)、6つ目の武具ですな(ビジュアル的には、他のもののような華やかさはないけれど。 cf.エペソ6章)。
  正しく用いるならば、最も強力。
  「山をも動かす」 2)
  こともできるほどだが、
  そもそも、それには

  からしだねのような、ほんとに、こ~~~~~~んな小さな種ほどの信仰がなければ出来ない。
  あんな、床にこぼれたら、探し出すのは至難の業、としか言い用のないほど、小さな種ほどの信仰、が、なければ。


  だが、私自身、未だ知らず。
  (それを知っている、といえる者が、何人いるのか)


  ただ、こんな者をも、神様は守ってくださっている。







  私は、
  一体、何をもって、お返しできようか(cf.詩篇116:5-13)。






【注】
1)ネヘミヤ記2:4参照(ある人に、「聖書の中で、(時間としては)一番短い祈りだと思う」と昔言われたことがあるが。)

2)マタイの福音書17章20-21節参照。

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