(ミュシャ『連作≪1日の四つの時刻ー朝の目覚め)』)
「かれら 答ふ
『われは アブラハムの裔(すえ)にして、
未(いま)だ人の奴隷となりし事(こと)なし。
如何(いか)なれば「なんぢら 自由を得(う)べし」と言ふか』
(彼らはイエスに答えた。
「私たちはアブラハムの子孫であって、
決してだれの奴隷になったこともありません。
あなたはどうして、『あなたがたは自由になる。』
と言われるのですか」)
イエス 答へ給(たま)ふ
『まことに誠(まこと)に汝(なんぢ)らに告(つ)ぐ、
すべて罪(つみ)を犯す者は罪の奴隷(どれい)なり。』」
(イエスは彼らに答えられた。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。
罪を行っている者はみな、罪の奴隷です」)
(新約聖書・ヨハネの福音書 8章33-34節)
さらに噛み砕くと、人は罪の奴隷である、というここでの表現は、どちらかというと
「人って煩悩(ぼんのう)や慾(よく)の奴隷だよね」というほうが、なんとなく
ニュアンスは伝わるかも・・・。それとも、「人は嘘をつく者だよね」のほうが理解してもらえるだろうか…。
**********
「なんぢら 自由なる者のごとくすとも、
その自由をもて 悪の覆(おほ)ひとなさず、
神の僕(しもべ)のごとくせよ。」
(あなたがたは自由人として行動しなさい。
その自由を、悪の口実に用いないで、
神の奴隷として用いなさい。)
(新約聖書・ペテロ第一の手紙 2章16節)
文語訳、新改訳から、メモ。
「かれら 答ふ
『われは アブラハムの裔(すえ)にして、
未(いま)だ人の奴隷となりし事(こと)なし。
如何(いか)なれば「なんぢら 自由を得(う)べし」と言ふか』
(彼らはイエスに答えた。
「私たちはアブラハムの子孫であって、
決してだれの奴隷になったこともありません。
あなたはどうして、『あなたがたは自由になる。』
と言われるのですか」)
イエス 答へ給(たま)ふ
『まことに誠(まこと)に汝(なんぢ)らに告(つ)ぐ、
すべて罪(つみ)を犯す者は罪の奴隷(どれい)なり。』」
(イエスは彼らに答えられた。
「まことに、まことに、あなたがたに告げます。
罪を行っている者はみな、罪の奴隷です」)
(新約聖書・ヨハネの福音書 8章33-34節)
さらに噛み砕くと、人は罪の奴隷である、というここでの表現は、どちらかというと
「人って煩悩(ぼんのう)や慾(よく)の奴隷だよね」というほうが、なんとなく
ニュアンスは伝わるかも・・・。それとも、「人は嘘をつく者だよね」のほうが理解してもらえるだろうか…。
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「なんぢら 自由なる者のごとくすとも、
その自由をもて 悪の覆(おほ)ひとなさず、
神の僕(しもべ)のごとくせよ。」
(あなたがたは自由人として行動しなさい。
その自由を、悪の口実に用いないで、
神の奴隷として用いなさい。)
(新約聖書・ペテロ第一の手紙 2章16節)
文語訳、新改訳から、メモ。