この夏、上野が熱かった。
6月半ばから、初来日となる、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」( ベルリン国立美術館展 @国立西洋美術館)に、- 「耳飾り」ではなく、「首飾り」-

それを知った時、よくぞ、この絵を海外に出した!!と思った。
マウリッツハイス美術館(ハーグ,オランダ)には、「真珠の耳飾りの少女」、別名、「青いターバンの娘」とも呼ばれるこの絵を観るために、世界中から人々が訪れる、という。
そのターバンには、キリストやマリアの絵画のローブにしか使わないような、貴重で高価なラピスラズリの青を、ふんだんに使用している。
フェルメールのラピスラズリのあお。
ときが止まった時間。

(映画『真珠の耳飾りの少女』での少女役スカーレット・ヨハンソン)
ある知人は、こんなことを言った。
「今、あの絵が来日しているんですね。昔、それを観るために、オランダまで行ったものでした。
楽しんでください(^^)」
****************
その日、キャベツは、3日で6時間のみの睡眠で、ふらふらだった(あのときは、暑かった)。
9時20分着。
中学生も、妙齢の人々も、皆、同じ方向に吸い込まれていった。
開館時間前だったが、すでに 東京都美術館の中は、長蛇の列。
ふらふらキャベツは、他の絵はざっと見る程度にとどめて、その絵を最前列で見るための、これまた長蛇の列の中に、うとうとしながら、並んだ。そして、一目見た。
**********
そして、彼女に あった。
**********
「あなたの瞳と、あなたのひとつの首飾りが、私の心を奪った」 1)というようなことを雅歌書に書いてあるが、あれは、―実感としては― こんな具合なのではないか、と感じた。
ここでは、首飾りではなく、耳飾りだが。
青いターバンなんて、どうでもいい。
ラピスラズリがどんなに高価で希少なものだったかなんて、関係ない。
彼女のひとみ。
彼女のまなざし。
それが、私を惹きつけた。
どうして、体力のない状態で、来てしまったのだろう。
どうして、この時間は、あっという間に終わってしまうのだろう。
最前列でなければ、少しばかりたたずんで、観ることも可能だった。
キャベツは、体力の許す範囲で、そうした。
2度目のときには、もう少し、彼女の姿を見ていられた。
だが、あのひとみの魔力は、間近であればあるほど、わかる。
― フェルメールが手放さなかったのも、うなづける。―
ポストカードやインターネットでは、あれはわからない。
あれは、伝えられない。
ただ、記憶をたどる手助けをしてくれるだけだ。
あの少女に、
またいつか、あいたいものだ。
【注】
1)雅歌書4章9節。正確には、こちら→。
6月半ばから、初来日となる、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」( ベルリン国立美術館展 @国立西洋美術館)に、- 「耳飾り」ではなく、「首飾り」-

6月終わりからは、「耳飾り」も来ていた。
それを知った時、よくぞ、この絵を海外に出した!!と思った。
マウリッツハイス美術館(ハーグ,オランダ)には、「真珠の耳飾りの少女」、別名、「青いターバンの娘」とも呼ばれるこの絵を観るために、世界中から人々が訪れる、という。
そのターバンには、キリストやマリアの絵画のローブにしか使わないような、貴重で高価なラピスラズリの青を、ふんだんに使用している。
フェルメールのラピスラズリのあお。
ときが止まった時間。

(映画『真珠の耳飾りの少女』での少女役スカーレット・ヨハンソン)
ある知人は、こんなことを言った。
「今、あの絵が来日しているんですね。昔、それを観るために、オランダまで行ったものでした。
楽しんでください(^^)」
****************
その日、キャベツは、3日で6時間のみの睡眠で、ふらふらだった(あのときは、暑かった)。
9時20分着。
中学生も、妙齢の人々も、皆、同じ方向に吸い込まれていった。
開館時間前だったが、すでに 東京都美術館の中は、長蛇の列。
ふらふらキャベツは、他の絵はざっと見る程度にとどめて、その絵を最前列で見るための、これまた長蛇の列の中に、うとうとしながら、並んだ。そして、一目見た。
**********
そして、彼女に あった。
**********
「あなたの瞳と、あなたのひとつの首飾りが、私の心を奪った」 1)というようなことを雅歌書に書いてあるが、あれは、―実感としては― こんな具合なのではないか、と感じた。
ここでは、首飾りではなく、耳飾りだが。
青いターバンなんて、どうでもいい。
ラピスラズリがどんなに高価で希少なものだったかなんて、関係ない。
彼女のひとみ。
彼女のまなざし。
それが、私を惹きつけた。
どうして、体力のない状態で、来てしまったのだろう。
どうして、この時間は、あっという間に終わってしまうのだろう。
最前列でなければ、少しばかりたたずんで、観ることも可能だった。
キャベツは、体力の許す範囲で、そうした。
2度目のときには、もう少し、彼女の姿を見ていられた。
だが、あのひとみの魔力は、間近であればあるほど、わかる。
― フェルメールが手放さなかったのも、うなづける。―
ポストカードやインターネットでは、あれはわからない。
あれは、伝えられない。
ただ、記憶をたどる手助けをしてくれるだけだ。
あの少女に、
またいつか、あいたいものだ。
【注】
1)雅歌書4章9節。正確には、こちら→。