◇「陽のあたる家-葉加瀬太郎」(BGM リンク先の三角ボタンを押すと流れます)
◇「幸福」というのは、絶対的ではなく、相対的なものなのだな、と今回の引越しで実感。未だに、その、ふわふわした嬉しい気持ちが消え去らない。
◇取り壊しになるからetc.ということで、急遽、賃貸物件を探し、古い物件だが良いところが見つかった。
(前の住まいは、実は、皆から「よくあそこにずっといられるね」と言われていたが、理由があり、自戒のため、そこにいた。理由が消失した矢先の「取り壊し」話だった。そろそろ、外に出ろ、というメッセージと理解。)
◇引っ越してすぐ、キャベツはあることに感動した。
-お風呂に入るのに、もう外に出なくて良い! (雨が降ろうと、風が吹こうと、雪が降ろうと、もう外に出る必要はない。)
-水道の蛇口をひねると、透明なきれいな水が出る! (今までは、茶けた水をmy浄水器に通していた)
-自分専用の台所がある!
-ガスって、こんなに火力が強いのか! (この数年間、IHだった)
-太陽の光って、こんなに強いのか! (今まで、北部屋だった)
◇恐らく、トイレ・風呂・キッチン共同の寮-ちなみに、そこは、(地方ではなく)都心-でしばらく生活しなかったら、実感しなかったであろう「幸福」。「そんなの、当たり前だから」と言われるだろうが、顔がほころぶのは止まらない。
それと同時に、ふと考えた(思い出した)ことがあった。
◇基本的に、自分の状態が以前と比較して満足できる状態だと感じるとき/欲求・欲望・望みが満たされたときに生じる感情が、「幸福」であるとすれば、元々、持たない方が、「幸せ」を実感できるラッキーな者かもしれない。(もちろん、どんな境遇でも不平不満の種を見つけることについて玄人級の方もいるが。)
◇人は、現在、持っているもの・満たされている状況に満足せず、未だ持たざるものを欲しがる傾向がある。手にしている幸せに気付くのは、失ったときかもしれない。
(とはいえ、本や話などから、他人の体験を見聞きして、自分の持っているものに気付くかもしれない)
◇人の欲望には限りがない。だが、物質的な欲望は、どこかで飽く。飽かずに、常に満足する(幸せを感じる)には;
1)今の自分を楽しむ ;神様から頂いた「恵み」を数える。今あるものを感謝する
2)「ない状態」を知る(実感する);人為的に可能なのは「断食」くらいか?
3)精神的な欲求に転化させる;
ex.神を知ろうとするならば、決して終わることはない。芸の道でさえ人の一生は比して短い。神の作った創造の理(ことわり)を知ろうとすることでさえ、人の一生がかかっても、見きれない。神ご自身に近づこうとするならば、なおのこと。
「あなたの口を大きくあけよ。
わたしが、それを満たそう。」
(旧約聖書・詩編81篇10節)
わたしが、それを満たそう。」
(旧約聖書・詩編81篇10節)
とはいえ、ほどほどにしないと、どんなに美味しいものでも飽く。少しずつ。 (ざっと書き)。
◇それにしても、新居は日当たりが良い。久しぶりに、家庭菜園を始めようかな。