「移民と難民の違いって、わかる?」
と、友人に問われたとき、はたっと気づかされた。
「うん。『移民(集合A)』の中の一部が、『難民(集合B)』って考えていいかも。
難民キャンプの中には、まだ『難民』とさえ認定されていない人も大勢いる。
『難民』と認定されれば、いろんな社会的支援が受けられるのに」
と、友人に問われたとき、はたっと気づかされた。
「うん。『移民(集合A)』の中の一部が、『難民(集合B)』って考えていいかも。
難民キャンプの中には、まだ『難民』とさえ認定されていない人も大勢いる。
『難民』と認定されれば、いろんな社会的支援が受けられるのに」
「訪タイ記 1) 国境へ」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」 「β」 「γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」 「β」 「γ(学校)」
「δ(カレン族とキリスト者)」「ε(仕事があること、時間があること)」
「訪タイ記 5)国境にて」
「訪タイ記 6)つれづれなるままに」
「訪タイ記 2) 国境の診療所α」 「β」 「γ」
「訪タイ記 3) ドリアン」
「訪タイ記 4) 難民キャンプα」 「β」 「γ(学校)」
「δ(カレン族とキリスト者)」「ε(仕事があること、時間があること)」
「訪タイ記 5)国境にて」
「訪タイ記 6)つれづれなるままに」
日本にも、『難民』や『移民』は住んでいる。
新大久保が今やコリアンタウンであるように、池袋に華僑が多いように、高田馬場にはタイやビルマ(ミャンマー)の人々がいる。
だが、恐らく、「難民キャンプ」としては、ここ(タイとミャンマーとの国境)が一番近いのだろうな・・・と思いつつ、そのひとつ、最大の難民キャンプ「メラ キャンプ」に向かった。
(メラ難民キャンプは、メソトから約66㎞、国境から約10㎞の山の中にある。1984年からある最古の難民キャンプ。約4.4万人が住んでいる)
難民キャンプに入るには、遅くとも30日前にタイの内務省に申請し、かつ、入場料(1万円)が必要。
また、すでにNGOとしてキャンプ内で活動している団体経由でなければ入ることはできず、日本からは、図書館事業を行っているSVA(シャンティ国際ボランティア会)さんのみ。スタディツアーとして、JAM経由で入ることもできる。
友人のツテ、および、ご好意により、今回、日本人およびカレン族の通訳の方と一緒に、行くことができた。(もちろん、アテンド料は必要です)
(個人で、こうしてキャンプ内に入るのは、たいてい研究者とか、らしい・・・と、そのときに、知った。)
(SVAさんは、図書館活動や出版活動を通して、カレン族等の伝統文化の継承を支援している。写真は、カレン語に訳された絵本)
このメラキャンプに多くいる少数民族カレン族は、1886年、イギリスがミャンマー(ビルマ)を植民地化したときは、支配者側であったが、太平洋戦争のとき、日本軍およびアウンサン率いるビルマ独立義勇軍(ビルマ人)によりイギリスが追い出されたのちからは、迫害されるようになる(ちなみに、アウンサンおよびビルマ人は、日本が敗色と見ると、クーデターを起こして、日本軍を追い出したらしい)。
1949年よりミャンマー(ビルマ)国内の少数民族の反政府勢力とミャンマー(ビルマ)軍事政権とによる対立が始まり、
1975年以降、戦闘や人権侵害(略奪、強制労働、レイプ等)を逃れて人々がタイ側へ流出。
片道1時間、しがない一般peopleのキャベツは、素朴な質問を投げかける。
-そもそも、「難民キャンプ」はどうやってできるものなんですか? 自然発生的に? それとも、政府から??
「難しい質問ですねぇ・・・(苦笑)
どちらもありますけど、結局、公式に『ここに集まって下さい』とされて、認められたキャンプが9つ、ですかね」
難民キャンプは出入りがキビシイと聞くが、どうやって新たな人は入って、かつ難民申請や食料配給などを受けるのだろう? どんなふうに一日を過ごしているのだろう。どうやって治安が保たれているのだろう? わからないことだらけだった。
(図書館にて)
難民キャンプはタイ内務省の管轄下にあり、外部援助団体としては、国際機関では唯一UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が活動し、その他は国際NGO(2014年現在 19団体?)。
ちょうど月1回の食糧配布の光景をちらっと見ることができた。だが、それも、収入に応じて少なくなるという。キャンプ内での「収入」は、学校の教師やNGOのスタッフしかなく、タイの1日最低賃金以下なのだが。
また、最近は、突然の「点呼」もあるため、そのときに、難民キャンプ内に居ないと(=無断で、外に「出稼ぎ」に行っていると)、登録抹消されるという。
(子どもたちの憩いの場?)
・・・・・・・・・。
そもそも、なぜ就業禁止なんだ?(タイに定着させないためか?) という疑問も抱きつつ。
仕事もなく、稼ぐこともほとんどできず、流通がどうなっているのか、さっぱりわからないが、キャンプ内には電気も通っており、お店もいくつかあった。
(難民キャンプ内のメインストリート)
「キャベツさん、アフリカにでも行ったことあるんですか?」
そう尋ねられたのは、お昼を頂くためにメインストリートのどこかのお店に入った時だった。
-いえ、私はまだアフリカ未踏ですが、どうしてですか?
「氷の入った水、何のためらいもなく飲んでいるので・・・」
-まあ、下痢になったら、そのときはそのときで(苦笑)
北国育ちのキャベツとしては、難民キャンプの暑さはけっこうこたえる。
雨季だというのに、私が来たその日はカンカン照り。
ランチを頂きながら、外を見やると、明るい日傘を差して歩いているカレン族の女性が。
・・・暑かった。
(続く)