さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

敬称 および 福沢諭吉

2016-10-28 05:28:17 | 日々の雑感
 敬称、の使い方というのは難しい。

 そもそも、キリスト者として「神の前に、みな平等」という意識があるが、社会生活を営む上で、
敬称を使わないことはない。

 手紙でも、会社宛ならば、「~~御中」
      人宛ならば、「~様」

 クリスチャンの兄弟姉妹相手ならば、「~~兄様」「~~姉(ないし姉妹)様」
(欧米の兄弟姉妹との間では、first nameのみ。)

 学校ならば、「~~先生」、「~~教授」と言い、

 仕事でも「~~主任」、「~~師長」等々。


 ・・・かと思えば、歴史的に有名な人の言葉に言及するときは、逆に氏名のみとなったりする。

 例.「福沢諭吉氏は・・・」、というのはあまり聞かない。

   「福沢諭吉は、こう言った」となる。


「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。

されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、

生まれながら貴賤上下の差別なく、

万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、

もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずして

おのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。

 されども今、広くこの人間世界を見渡すに、

かしこき人あり、おろかなる人あり、

貧しきもあり、富めるもあり、

貴人もあり、下人もありて、

その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。

その次第はなはだ明らかなり。

『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。

されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。・・・」

(「学問のすすめ」)

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三笠宮殿下

2016-10-28 04:51:37 | Friday -news-
100歳、平和願い…三笠宮さまがご逝去

(読売新聞)昭和天皇の末の弟宮で天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁(みかさのみや・たかひと)親王殿下は、27日午前8時34分、心不全のため、東京都中央区の聖路加国際病院で逝去された。

 宮内庁によると、本葬にあたる 斂葬 の儀は11月4日、文京区大塚の 豊島岡 墓地で営まれる。明治以降の皇族では最高齢の100歳だった三笠宮さまは平和と自由を重んじ、大正、昭和、平成と生き抜かれた。・・・(中略) ・・・

 三笠宮さまは1915年(大正4年)12月2日、大正天皇と貞明皇后の第4皇子として誕生された。幼時の称号は 澄宮 。10〜20代は戦争の時代で、32年(昭和7年)に学習院中等科4年を修了後、陸軍士官学校、陸軍大学校に学び、大戦中は陸軍参謀などを務めた。

 中国に派遣された経験から、戦後は先の大戦の反省に立ち、世の中を見つめ直すとの思いで中東などオリエント学者の道に進まれた。 平和や自由を重んじる姿勢は一貫し、戦中に陸軍の在り方を批判された三笠宮さまの文書の存在が戦後半世紀近くたってから広く知られるようになった。・・・(以下略)・・・




 オリエント史を研究していたこの方の名は、知っていた。

『歴史学者としてオリエント史を研究している三笠宮殿下が、なぜ歴史を学ぶようになったかについて
次のように述べています。

「私は戦時中に敵を知ろうと、キリスト教を調べ聖書にぶつかった。

初めは文明を誇る白人がなぜこんなものを信じるのかと笑ったが、

聖書が歴史的事実と知った
とき、

聖書から離れられなくなった。・・・』

(滝川晃一著「暗やみから光へ」,P.10)



  自分が大事だと感じている分野に、関心を寄せられると、親近感を覚えるものですね。

  今は安らかでありますよう、お祈りいたします。

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