あるとき、相方トマトと「放蕩息子」※1について話をしていたときのメモ。
※1「放蕩息子」…ルカ伝15章にある、有名なたとえ話。
『10行で読める放蕩息子』はこちら。
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1)身代を分けるというコト
2)豚のえさのイナゴマメ
ユダヤ人にとって、豚は不浄のもの。
豚の世話をする、ということや、豚のえさでさえ食べたい、という状況が、落ちぶれに落ちぶれたことを意味するのだが、
相方トマトは、「調べたら、面白いことがわかった」と、目を輝かせて、のたもうた。
「イナゴ豆って、栄養価が高いらしいよ!!!」
結局のところ、イナゴ豆の皮を豚が食べていたらしい、と。
そんなやり取りの向こうで、ふと、『そもそも、イエスの話された「たとえ話」が、聞き手だけでなく、語り手たちの間にとっても、「たとえ」になっていないのではないか』という、一抹の不安がよぎる。(確かに、時代も、背景も異なるわけではあるが…。たとえば、「自分=放蕩息子とはどうしても思えないケド、お前はそうだと言われるから、そのつもりになってみる…けど、やっぱり違うんじゃないか」という方もいるのではないか、等々)
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人間、やはり多少はバカをやったほうが、自分バカだ(罪人だ)ってわかるんじゃなかろうか、とも。
※1「放蕩息子」…ルカ伝15章にある、有名なたとえ話。
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1)身代を分けるというコト
2)豚のえさのイナゴマメ
「彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、
だれひとり彼に与えようとはしなかった。」
(ルカ伝 15章16節)
だれひとり彼に与えようとはしなかった。」
(ルカ伝 15章16節)
ユダヤ人にとって、豚は不浄のもの。
豚の世話をする、ということや、豚のえさでさえ食べたい、という状況が、落ちぶれに落ちぶれたことを意味するのだが、
相方トマトは、「調べたら、面白いことがわかった」と、目を輝かせて、のたもうた。
「イナゴ豆って、栄養価が高いらしいよ!!!」
結局のところ、イナゴ豆の皮を豚が食べていたらしい、と。
そんなやり取りの向こうで、ふと、『そもそも、イエスの話された「たとえ話」が、聞き手だけでなく、語り手たちの間にとっても、「たとえ」になっていないのではないか』という、一抹の不安がよぎる。(確かに、時代も、背景も異なるわけではあるが…。たとえば、「自分=放蕩息子とはどうしても思えないケド、お前はそうだと言われるから、そのつもりになってみる…けど、やっぱり違うんじゃないか」という方もいるのではないか、等々)
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人間、やはり多少はバカをやったほうが、自分バカだ(罪人だ)ってわかるんじゃなかろうか、とも。
『その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを
理解する力を持つようになり、
人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。』
(エペソ3章18~19節)
理解する力を持つようになり、
人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。』
(エペソ3章18~19節)