(東山魁夷「道」(1950)、青森は八戸の種差海岸がモデル)
『また、あなたがたは自分の足のために、
まっすぐな道を作りなさい。
足の不自由な人が踏み外すことなく、
むしろ癒やされるためです。』
(新約聖書・ヘブル12章13節)
and make straight paths for your feet,
so that what is lame may not be dislocated, but rather be healed.
(Hebrews 12:13)
キリスト者(クリスチャン。使徒11:26)の場合、「道」と言えば、
イエス・キリスト(ヨハネ14:6)を指し、
キリストの十字架の贖いによる救いの道(使徒17:30-31、使徒24:15, 22、イザヤ35:8~10)を
意味したり、連想する。
神の用意したものに、私達が付け足したりも引いたりすることも出来るわけがないのだが、
一見、そうする自由があることも示唆される。
(「人生」という意味での「道」ならば、後半にある、他者のための勧めは違ったものだったろう)
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確かに、雪道に残る足跡で、道がでこぼこになり、歩きにくくなることもある。
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願わくば、一つ一つの小さなわざが、祝用されますように。