さすらうキャベツの見聞記

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『塩一トンの読書』  弐

2011-03-20 21:10:07 | ひとこと*古今東西
(ボリビアのウユニ塩湖。標高約3,700mにある
 南北約100km、東西約250km、面積約12,000km²=新潟県の面積)

            

 …文学で古典といわれる作品を読んでいて、ふと、いまでもこの塩の話を

思い出すことがある。

 この場合、相手は書物で、人間ではないのだから、

「塩をいっしょになめる」というのもちょっとおかしいのだけれど、

すみからすみまで理解しつくすことの難しさにおいてなら、本、とくに古典との

つきあいは、人間どうしの関係に似ているかもしれない。

 読むたびに、それまで気がつかなかった、あたらしい面がそういった本には

かくされていて、ああこんなことが書いてあったのか、

と新鮮なおどろきに出会いつづける。


     **************

 長いことつきあっている人でも、なにかの拍子に、あっと思うようなことがあって

衝撃をうけるように、古典には、目に見えない無数の襞(ひだ)が隠されていて、

読み返すたびに、それまで見えなかった襞がふいに見えてくることがある。

しかも、一トンの塩とおなじで、

その襞は、相手を理解したいと思いつづける人間にだけ、ほんの少しずつ、
開かれる。

イタリアの作家カルヴィーノは、こんなふうに書いている。



 「古典とは、その本についてあまりいろいろ人から聞いたので、

  すっかり知っているつもりになっていながら、

  いざ自分で読んでみると、これこそは、あたらしい、予想を上まわる、

  かつてだれも書いたことのない作品と思える、そんな書物のことだ。」



                       (須賀敦子『塩一トンの読書』から抜粋)


                 

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