今日は3月8日。
「国際婦人デー」です。
いまこの時期において、この国際婦人デーは大きな意味をもって感じられます。
というのも……かつて帝政ロシアを倒したロシア革命は、1917年3月8日に行なわれた国際婦人デーのデモから始まったのです。
おそらく、それにからめた記事があちこちで出ていることと思われますが……女性労働者たちのストライキとデモから、各地の労働者に運動が波及し、ついには革命にまでいたったのでした。
それから、およそ100年あまり……
ロシアは、また大きな変革の時を迎えているのかもしれません。
ということで、今回はロシアについてちょっと書いてみようと思います。
まあこれも、たぶんいろんなメディアで語られているんでしょうが……
ロシアという国名は「ルスの国」という意味です。
「ルス」とは「船の漕ぎ手」という意味であり、スカンディナビア人のことといいます。
プーチンもそうですが、「ウラジミール」というロシア人男性によくある名は、スウェーデン人男性のポピュラーな名前「ヴァルデマール」をスラヴ風にいったものです。
そうなってくると、ロシアの民族性とは何なのかという話にもなるでしょう。
スラブ民族がどうこうといったって、あんたのその名前は北欧のバイキングがもとになってるじゃないかと。
この矛盾の根底には、ロシアの歴史があります。
伝承によれば、スラブ人たちが支配者を求め、その結果としてリューリクというルスの指導者を得たのがロシアのはじまり。そして、そのリューリクというのは、今でいうスウェーデン系の人なのではないかとも考えられているのです。
この伝承がどの程度まで事実なのかはわかりませんが……ただ、そこに、ロシア的な国家観を読み取ることはできるでしょう。
雑然とした無秩序な状態に、強力な支配者が現れることで秩序がもたらされた……その歴史から、くる“強い支配者”欲求ともいうべきものです。
この「強い王」を求める心理が、プーチンという人を支えてきた側面は否定できないでしょう。
そして、それゆえにプーチンの側も強い君主を演じてきた。それが、互いを増幅しあう……その相互作用が行きつく先に、独裁国家におなじみの悲劇が待っていた。それが、今回のウクライナ侵攻であると私にはみえるのです。
プーチンは、イエスマンに囲まれて正常な判断ができなくなっているという分析もあります。
ウクライナ侵攻の三日前に行われたロシア安全保障会議の映像というのが公開されていましたが……そこには、部下を問い詰める、さながらパワハラ上司というプーチンの姿がありました。
イエスマンにとりかこまれ、自分自身を過大評価するようになる。そして、そのイエスマンたちは、パワハラ上司に忖度して都合のいい情報だけをあげるようになっている……このことによって、プーチンは裸の王様化してしまっているのではないか。きちんとした情報も得られないなか、肥大化した自己評価で「俺ならできる」と思い込み、甘い見通しに基づいて行動してしまったのではないか……
これは、“強い君主”というものの恐ろしさを示してあまりあります。
このブログでは何度もいってきましたが、独裁という体制は必ずいつか破綻します。とりわけ、複雑化した近代国家は、独裁体制ではまともに運営できないのです。
近代の世界においては、どんなに賢い指導者であろうと、大きな行動を起こしたときにそれが社会にどういう影響をもたらすか細部にわたって予測するのは不可能です。だから、指導者が無茶なことをやろうとしたら、専門的な知見をもったものが「それは無茶ですよ」と止めなければならない。しかし、独裁体制ではその回路が機能しなくなっている。結果として、無茶な計画が実行されてしまう。いまのロシアが示しているのは、まさにそのことではないでしょうか。
真偽不明な話ですが、ロシアの情報分析官が経済制裁に関して楽観的なレポートを提出していたという話が出てきています。
仮定の話として、ロシアが経済制裁を受けた場合どうなるかシミュレーションしろといわれ、上の人間が満足するようなレポート――すなわち、経済制裁を受けてもたいしたことはない、という楽観的なレポートを出し、いまになって「話がちがうじゃないか」と責め立てられているというのです。
まさに、これでしょう。
こういうことが、政府機関や軍のあちこちで起きているんじゃないでしょうか。
それが結果として「こんなはずじゃなかった」という事態を引き起こしている。その事態が、ロシアという国家に致命的なダメージを与えつつある。だとすれば、まさにそれは、独裁体制に約束された運命にほかならないのです。
そして最後に我が国の話をすると……
日本でも、“強い支配者”欲求というのは相当程度にあるように思われます。
しかも、近年その傾向が強まっている様子です。それが嵩じれば、その行きつく先にあるのは……そう考えると、戦争の悲惨さというのととはまた別の意味で、今回の騒動は日本にとって対岸の火事ではありません。