ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
『ホテル・カリフォルニアの殺人』(宝島社文庫)発売中です!

JACKS「からっぽの世界」

2021-03-07 21:57:25 | 音楽批評


今回は、音楽記事です。

以前の音楽記事では PYG を紹介しました。
グループサウンズが廃れたあとの廃墟から出発し、新世代のロックを目指しながら挫折したPYG……

その頃の日本にあっても、ニューロックを志向したアーティストについて書くと、そこで予告しました。

というわけで、今回取り上げるのはJACKSです。
後述するように、必ずしも意識的にニューロックをやろうと考えていたわけではないようですが、その音楽的スタンスやポピュラー音楽史における立ち位置は、いわゆる“ニューロック”のそれだと思われます。



JACKS。

知る人ぞ知る的なバンドでしょう。

かの、つのだ☆ひろさんが在籍していたバンドでもあります。
ただし、そもそもJACKSの活動自体が短期間であり、そこへ中途からの参加なので、きわめて短期間ではありますが……これは、知る人ぞ知るポイントの一つです。

そのつのださんをバンドに引き入れたのが、木田高介さん。
これが、知る人ぞ知るポイントの二つ目。

この方は、後に音楽プロデューサーとして活躍するようになり、有名な楽曲をいくつか手がけています。
とりわけ有名なのは――JACKSの音楽からするとにわかには信じがたいことなんですが――あのかぐや姫によるフォークのヒット曲「神田川」でしょう。

メンバーの中でもっとも音楽的な基礎をもっていた人で、唯一譜面が読め、楽器のチューニングなどもだいたいこの方がやっていたとか。
そういったところからすると、ドアーズでいうレイ・マンザレクのような立ち位置だったのではないかと想像されます。それは、ともすればアサッテの方向に飛んで行きかねないフロントマンの個性をポピュラー音楽のフォーマットにおさめるという役割です。ドアーズと同様に、JACKSの音楽はこの危ういバランスで成り立っていたんじゃないでしょうか。

そして、そのアサッテの方向に飛んで行きかねないフロントマンというのが、早川義夫さん。
JACKSの音楽世界は、この早川さんの強烈な個性によるところが大きいというのは、誰しもが認めるところでしょう。
本人の語るところによれば、べつに意識してニューロックを志向していたというわけでもないようですが……「グループサウンズではないし、フォークソングとも違うから、どの会場でも常に浮いていた」というジャックスは、明らかにそれまでの日本音楽に存在しない何者かでした。
これはある種の、前適応のようなものといえるんじゃないかと私は思ってます。
たとえていえば、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのような……であるがゆえに、同時代の評価は得られず、ずっと後になって評価されることになるわけです。先駆者の悲運というやつでしょうか。

意識してかどうかはともかく、その方向性がサイケデリックのほうを向いていたのは、たとえばギターの水橋春夫さんがプロコル・ハルムの「青い影」をよく歌っていたというようなエピソードに表れています。
プロコル・ハルムといえば、このブログでは以前一度紹介しましたが、まさにサイケデリックのバンドです。そういう感覚がJACKSというバンドの基調をなしていたことはたしかでしょう。

しかしながら、この水橋さんはファーストアルバム『ジャックスの世界』を出した後に脱退します。
大阪のライブの後で、「早川君、こんなことしていたって売れっこないよ。俺辞めたいよ」と切り出したそうです。
早川さんは、「水橋君にとっては、明るい未来は全然見えて来なかったのだろう」と述懐しています。
ほかのメンバーは慰留しましたが、結局脱退を止めることはできませんでした。

リードギターを失ったJACKSは後任ギタリストを探しますが、なかなか見つかりません。そこへ新メンバーとして加入したのが、なぜかドラムのつのだ☆ひろさん。それまでは木田さんがドラムだったんですが、木田さん自身が「つのだ君のほうが上手だから」といい、自身はサックスやヴィヴラフォンなどに回ったということです。

こうして、いびつな編成ながらも新体制で動き出したジャックスですが、その活動は長くは続きませんでした。
セカンドアルバム『ジャックスの奇蹟』をレコーディングするときには、もう解散が決まっていたそうです。
水橋さんの脱退と同様、商業的な不振がその背景にあるようです。バンドの活動は赤字続きで、メンバー内に不満が募っていたということで……
「誰が悪いのでもない。不完全燃焼だった。実に不幸なバンドだった」と、本人は語っています。
その後、早川さんは一時制作の仕事をしていましたが、やがて音楽からまったく離れ、二十数年にわたって本屋で働いていたということです。



ここで、動画を紹介しておきましょう。

今は便利な時代になったもので、早川さんご自身が公式サイトを開設しています。この記事中の引用はすべてそのサイト内のコラムによってるんですが、このサイトには動画もいくつかあります。そのなかから、「からっぽの世界」。JACKSとしての動画ではありませんが…

からっぽの世界 yoshio hayakawa

もう一曲、「からっぽの世界」と同じくファーストアルバムに収録されていた「ラブ・ゼネレーション」。
JACKSでギターを弾いていた水橋春夫さんに加え、なんと佐久間正英さんが共演。佐久間さんは、若いころにジャックスのステージをみて「感動し身震いした」のだそうです。

ラブ・ゼネレーション/君でなくちゃだめさ yoshio hayakawa

  信じたいために 親も恋人をも
  すべてあらゆる大きなものを疑うのだ

と、早川さんは歌います。

この世界への違和感――それはたしかに、新たな世代の産声だったでしょう。

ただ、前適応というのは、その要素を継承したものが淘汰を生き延びて進化を遂げたところではじめてあれは前適応だったといえるわけで……そういう意味では、果たしてこの先駆者に続いた者たちが“世代”を形成しえたかということについては、疑問もなしとしません。
ジャックスに影響を受けたアーティストたちが、そのベクトルを継承していたかといえば、なかなかそうでもなくて、やはりある種歌謡曲と折り合いをつけているように私には感じられます。まあ仕方がないことではあるし、それが悪いということでもないんですが……やはり、歌謡曲の重力がこの国の音楽業界には遍く満ち満ちているのだということが、そんなところからも実感されるのです。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。