いよいよ選挙戦がはじまりました。
巷では候補者やその支援者たちが選挙運動にいそしんでいますが……そんななか、一部では“積極的棄権”を呼びかける運動が行われています。
こんな選挙はでたらめだ。投票したって意味がない。だったらいっそ、政治そのものへの不信任の意思を示すために意識的に棄権しよう……という考え方です。
果たして、この積極的棄権というのは、どうなんでしょうか。
率直にいって、私は賛同できません。
理由はいたって単純で、政治をよくする効果が期待できないからです。
この運動が対象としている政治家というのは、投票率の低さから「政治そのものへの不信任」という意思を感じ取って反省するような殊勝な人たちではないでしょう。
積極的棄権が意味を持つためには、それがはっきりと目に見える効果をもつ必要があります。
では、どうすればそうなるのか。
今回は、たとえばこんな制度はどうでしょう……という提言を一つしてみたいと思います。
それは、「可変ハードル方式」とでも呼ぶべきものです。
投票率が低かった場合、その分だけ法案成立のためのハードルを引き上げるのです。
いまの衆議院では、議員の過半数……すなわち、233人が賛成すれば法案は通過しますが、「可変ハードル方式」では、その法案通過ラインが変動するようにします。投票率が低かったら、そのぶんだけラインを引き上げるのです。
たとえば、投票率が60%だったとしたら、240人が賛成しないと可決しない……という具合です。
こうなると、国会議員は、選挙に勝つというだけではなく、投票率自体を上げる努力もしなければならなくなります。
政治不信そのものを何とかする必要に駆られるのです。そうでたらめなこともしていられなくなるでしょう。
具体的な計算は、「絶対数で有権者の過半数に相当するだけの国会議員票がなければ法案は成立しない」ということにしましょう。
すなわち、もし投票率が50%だったら、その国会は全有権者の半分の意思しか反映していないので、議員の全員が賛成しなければ法案は成立しません。逆に、投票率が100%であれば、過半数だけでOK。法案成立に必要な議員数のラインは、その「全員」と「過半数」の間で変動します。
数式で表すと、衆議院の場合次のようになります。
c=50÷r×465(c=法案成立に必要な議員の数、r=投票率)
この計算だと、投票率が60%だった場合、衆院本会議で388人が賛成しないと法案は可決できません。
そして、投票率が50%を切った場合、法案成立に必要な議員数が議員総数を超えてしまい、いかなる法案も成立しなくなります。つまり、その国会はなにもすることができません。
こうなってくれば、積極的棄権も意味を持ちえます。
みんなに棄権を呼びかけて、投票率が50%を割り込むようにすれば、事実上選挙を不成立に追い込むことができるからです。また、50%といかないまでも、いまのような投票率であれば法案を通すことはきわめて困難になります。
いかがでしょう?
まあ、さすがに上記の計算ではあまりにハードルが高いので、もう少し甘くしてもいいです。
予算案や条約といった部分は従来通りとしてもいいですし、「選挙にいかないやつなんか計算に入れる必要はない」という批判もあるでしょうから、棄権とみなすのは白紙投票だけでもかまいません。
重要なのは、このシステムによって「政治そのものにNOの意思を示す」という選択肢を有権者が持てるということです。いまの制度ではそれはできませんが、可変ハードル方式なら、はっきりと結果に反映されるかたちで可能になります。有権者が意思表示する方法が一つ増えるのですから、より民主的な選挙に近づくといえるのではないでしょうか。
以上、今回は私からの提言でした。
巷では候補者やその支援者たちが選挙運動にいそしんでいますが……そんななか、一部では“積極的棄権”を呼びかける運動が行われています。
こんな選挙はでたらめだ。投票したって意味がない。だったらいっそ、政治そのものへの不信任の意思を示すために意識的に棄権しよう……という考え方です。
果たして、この積極的棄権というのは、どうなんでしょうか。
率直にいって、私は賛同できません。
理由はいたって単純で、政治をよくする効果が期待できないからです。
この運動が対象としている政治家というのは、投票率の低さから「政治そのものへの不信任」という意思を感じ取って反省するような殊勝な人たちではないでしょう。
積極的棄権が意味を持つためには、それがはっきりと目に見える効果をもつ必要があります。
では、どうすればそうなるのか。
今回は、たとえばこんな制度はどうでしょう……という提言を一つしてみたいと思います。
それは、「可変ハードル方式」とでも呼ぶべきものです。
投票率が低かった場合、その分だけ法案成立のためのハードルを引き上げるのです。
いまの衆議院では、議員の過半数……すなわち、233人が賛成すれば法案は通過しますが、「可変ハードル方式」では、その法案通過ラインが変動するようにします。投票率が低かったら、そのぶんだけラインを引き上げるのです。
たとえば、投票率が60%だったとしたら、240人が賛成しないと可決しない……という具合です。
こうなると、国会議員は、選挙に勝つというだけではなく、投票率自体を上げる努力もしなければならなくなります。
政治不信そのものを何とかする必要に駆られるのです。そうでたらめなこともしていられなくなるでしょう。
具体的な計算は、「絶対数で有権者の過半数に相当するだけの国会議員票がなければ法案は成立しない」ということにしましょう。
すなわち、もし投票率が50%だったら、その国会は全有権者の半分の意思しか反映していないので、議員の全員が賛成しなければ法案は成立しません。逆に、投票率が100%であれば、過半数だけでOK。法案成立に必要な議員数のラインは、その「全員」と「過半数」の間で変動します。
数式で表すと、衆議院の場合次のようになります。
c=50÷r×465(c=法案成立に必要な議員の数、r=投票率)
この計算だと、投票率が60%だった場合、衆院本会議で388人が賛成しないと法案は可決できません。
そして、投票率が50%を切った場合、法案成立に必要な議員数が議員総数を超えてしまい、いかなる法案も成立しなくなります。つまり、その国会はなにもすることができません。
こうなってくれば、積極的棄権も意味を持ちえます。
みんなに棄権を呼びかけて、投票率が50%を割り込むようにすれば、事実上選挙を不成立に追い込むことができるからです。また、50%といかないまでも、いまのような投票率であれば法案を通すことはきわめて困難になります。
いかがでしょう?
まあ、さすがに上記の計算ではあまりにハードルが高いので、もう少し甘くしてもいいです。
予算案や条約といった部分は従来通りとしてもいいですし、「選挙にいかないやつなんか計算に入れる必要はない」という批判もあるでしょうから、棄権とみなすのは白紙投票だけでもかまいません。
重要なのは、このシステムによって「政治そのものにNOの意思を示す」という選択肢を有権者が持てるということです。いまの制度ではそれはできませんが、可変ハードル方式なら、はっきりと結果に反映されるかたちで可能になります。有権者が意思表示する方法が一つ増えるのですから、より民主的な選挙に近づくといえるのではないでしょうか。
以上、今回は私からの提言でした。