ロック探偵のMY GENERATION

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スティーヴン・キング『ザ・スタンド』

2020-04-09 15:56:23 | 小説


もしアーティストなど役に立たないというのなら、隔離の期間を、音楽も本も詩も映画も絵画もなしに過ごしてみろ


スティーヴン・キングが、ツイッターでこんなことをつぶやいていました。

もっともなことです。
さすがはキング先生といったところでしょう。5日前のこのつぶやきには、30万のいいねがついています。


タイムラインにたまたま現れたこのツイートをみていて、時節柄ということでしょうか、私はふいに彼の『ザ・スタンド』という作品を思い出しました。

 

『ザ・スタンド』は、“スーパーフルー”あるいは“キャプテン・トリップ”と呼ばれる感染症のパンデミックで文明が崩壊した世界を描く物語です。

最近はコロナ禍でカミユの『ペスト』が広く読まれたり、映画でもパンデミック物がはやったりしてるそうなので、その流れにのって今回はこの『ザ・スタンド』について書いてみようと思います。

発表は、1990年――なんですが、これはちょっと注釈がいります。

もともとは、1978年に発表された作品。しかし、そのころのキングはまだ駆け出しで、話の長さに難色を示した編集サイドが短くカットさせました。その後、キングが押しも押されぬ大御所作家となってから、完全版が発表された、という流れです。邦訳は、この完全版のみが出ているようです。

この『ザ・スタンド』完全版は、1990年の発表時点で完結している作品としては、キング作品の中でもっとも長いものだったといいます。
とにかく長いものが多いキング作品で最長というわけですから、それはもうずいぶんな長さです。単行本だと、広辞苑みたいなやつが上下二巻となっています。

完全版は、単に削除された部分を復活させただけでなく、後に加筆した部分もあるようです。私が読んでいてそうだと確信できる部分としては、レーガン政権について言及した箇所などがありました。やはり、十年以上前に書いた作品を手直しするとなったら、そういうこともやりたくなったわけでしょう。
ただ、なにしろこの話は長い。広辞苑二冊分の物語で大幅な加筆修正を施したために、話のなかにいくつかの齟齬が生じてしまっているともいいます。私はあまり気が付きませんでしたが……

内容は、先述したとおりパンデミックものです。

この作品に登場するスーパーフルーは――この手の作品によくあるとおり――軍関係の研究所で極秘に開発されていたウィルスが外に漏出したというもので、新型コロナよりもはるかに凶悪。感染はすさまじい勢いで世界中に拡大し、ばたばたと人が死んでいきます。そのパンデミックによって文明は崩壊し、生き残った人々は新しいコミュニティを形成していくことになるのです。

そのコミュニティの形成過程で、“善”と“悪”がはっきりとわかれていきます。
カオス化したアメリカ国内に“善の世界”と“悪の世界”ができあがり、その対決が描かれるのです。

この筋立てには、スティーヴン・キングという作家を生み出したアメリカ社会の状況が影響を与えているように思われます。

スティーヴン・キングはモダン・ホラーの旗手といわれますが、彼が登場した背景には、1970年代ごろのアメリカ社会の大きな変化がありました。
よく“訴訟社会”といわれるアメリカですが、アメリカが訴訟社会化していったのはこの頃といわれます。それと歩調をあわせるようにして、離婚の急増や少年司法が批判されるなどといったこともみられ……どうも、人間が人間のなかに悪魔を見出す時代になったようなのです。

キングと並んでモダンホラーのけん引役と目される作家にクーンツがいますが、そのクーンツが、自作のなかで「悪い種」ということをいっています。
世の中には、どうやってもわかりあうことができない、生まれついて邪悪な人間がいる――という発想です。そこでは、人間が恐怖の対象となります。サイコサスペンス的な作品はしばしばそういう人間観に基づいて描かれますが、キングの『ザ・スタンド』にもこの感覚が反映されているんではないかと思えます。

吸血鬼や悪魔が相手ならば小説が終われば恐怖も終わりですが、人間が恐怖の対象となると話は違ってきます。「悪い種」の人間が、隣にいるかもしれない――そういう不安が現代社会にあって、その不安がまたキング作品の通奏低音ともなっているというスパイラルがあります。
ものの本によれば、社会に不安が蔓延していると、単純化された表象が広く受け入られるようになり、「正義VS悪」といった単純な構図もまた受け入れられやすくなるといいます。
歴史上に“魔女狩り”という現象がありますが、これも社会的な不安によって引き起こされた現象といえ、モダンホラーと恐怖のベクトルを共有しているのかもしれません。

その観点から、いまのコロナ禍を眺めてみるとどうか。

未知のウィルスへの不安が、善と悪という二元論的な見方を社会に醸成してはいないか。あるいは、特定の民族や特定の職業に問題の原因をなすりつけ、つるし上げるようなことになっていないか……今回のコロナ禍で、そんなことを考えました。





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