今日7月9日は、「鷗外忌」。
文豪・森鷗外が、1922年にこの世を去った日です。
森鷗外といえば、日本文学史におけるレジェンド。
今年は、夏目漱石、芥川龍之介といった文豪についての記事も書いてきたので、その流れに乗って、鷗外についても書いてみようと思います。
記事を書くにあたって、ひとつ未読の作品でも読んでみようかということで……「カズイスチカ」という短編を読んでみました。
“カズイスチカ”とは、臨床記録のこと。鷗外は医者でもあるわけで、その知見に基づいて、医師の父子を描いています。
父のほうは、医者としての知識に関してはいまひとつながら、どこか達観した人物。それに対して息子のほうは、日常に安住できずにいます。「始終何か更にしたい事、する筈の事があるように思っている。しかしそのしたい事、する筈の事はなんだか分からない」というのです。
私はこの父子に、鷗外の憧れと現実を見ます。
「無門関」の禅僧めいた境地にある父は鷗外の憧れであり、そこに達することができない息子は鷗外自身の姿でしょう。
鷗外といえば、漱石と並ぶザ・文豪ともいうべき存在ですが、漱石に多くの門下生がいたのと対照的に、鷗外は孤高の文学者でした。
文壇ばかりでなく政治・学問の世界における大物たちとかかわりがありましたが、それでも鷗外は孤独であり、その孤独が作品の端々ににじみ出ているのは、鷗外作品をいくつか読んでみれば容易に感じ取れるところでしょう。
その孤高というところが、私には、どこかブライアン・ウィルソンに通ずるところがあるように思えるのです。
これを、強引なこじつけといわないでいただきたい。
昨日のビーチボーイズ振り返り記事で紹介した、「大海のなかを漂うコルク」という歌詞――
鷗外の寄る辺のなさというのは、それと同根のものであるように私には感じられます。
「妄想」という、短編というかエッセイのような作品がありますが、鷗外はそのなかでこんなことを書いています。
自分は永遠なる不平家である。どうしても自分のいない筈の所に自分がいるようである。どうしても灰色の鳥を青い鳥に見ることが出来ないのである。道に迷っているのである。夢を見ているのである。
「自分のいない筈の所に自分がいるようである」というのは、やはり昨日紹介した記事に出てくるビーチボーイズ「僕を信じて」の冒頭部分の歌詞そのものです。 I know perfectly well I'm not where I should be――
鷗外の抱えていた疎外感は、まさにブライアン・ウィルソンやトム・ヨークのそれと同じものでしょう。
夏目漱石も芥川龍之介もロックだとこのブログで書きましたが……その二人とはまた別の意味で、森鷗外もまたロックなのです。
軍艦一隻を実験台にして、
脚気はビタミンの不足を証明して
鴎外は、医師としての持論が破られて、
医学の奥深さの前に
医師としての自信が揺らいでいるときに
書いた文ではなかろうかと、、、
私的にはプレリュードですよね。
独断と偏見ですがネ。
脚気論争、ありましたね……この件についてちょっと調べてみたんですが、(といってもネット上で検索しただけですが)「カズイスチカ」が発表された1911年の段階では、この論争はまだ最終的な決着を見ていなかったようです。とはいえ、鷗外側の旗色がだいぶ悪い感じになってもいたみたいで……自信がゆらぎかけていたということはあったかもしれないですね。
科学は時に頑迷な権威主義に陥ってしまい、新しく出てきた学説を根拠もなく否定してしまったりすることがありますが、脚気論争の背後にもどうやらその構図があったようです。さすがの鷗外先生も、医学者としてはそういう罠にはまってしまったということでしょうか。