ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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東日本大震災から11年

2022-03-11 16:12:32 | 日記


今年も3月11日がやってきました。

東日本大震災から、11年……

残念ながら、今年の3月11日は、核に関する新たな脅威を目のあたりにしながら迎えることになりました。
もちろん、ウクライナのことです。

チェルノブイリとザポリージャ原発、双方とも、IAEAへのデータ送信が停止。電源喪失していたチェルノブイリに関しては電力供給回復という報道もありましたが、IAEAは未確認としています。チェルノブイリは事故後数十年にわたって冷却されてきているので、すぐにメルトダウンということはないらしいですが……ザポリージャのほうは一歩間違えれば大事故になる危険があるでしょう。

あらためて、原発というもののリスクを考えさせられます。
原発の安全神話はすでに崩壊していますが……平常時の運転の場合にくわえて、戦争という状況を考えたときには原発というものが安全保障上致命的なリスク要因になるということが今回示されたわけです。
ツイッターでどなたかがつぶやいておられましたが、原発があるということは、ほかのすべての国に核ミサイルを持たれているに等しいということになります。
国家の安全保障を論じるなら、非現実的な核保有を云々するよりも、原発という現実的なリスク要因をどうするか考えるべきでしょう。


さて、いま人類が直面している危機といえば……もう一つは、新型コロナです。

これまでの多くの場合と同様に、第六波も危惧されていた悪いほうのシナリオが実現しつつあるようです。
急速に減少していくのではないかという楽観的な予測は裏切られ、新規感染者数は高い水準のまま推移しています。死者数も、一日で200人を超えるのが当たり前のようになり、累計の死者数はとうとう東日本大震災の死者を超えてしまいました。
この二年あまり、政府の新型コロナ対策はどうだったのか。
ひるがえって、もしも東日本大震災のとき自民党政権だったらどうなっていたか……
それを考えると、あの未曽有の大災害がたった三年ほどしかなかった民主党政権のときにあたっていたのは、案外この国をぎりぎりのところで破滅の淵から救う奇蹟のような偶然だったのかもしれない……そんなことも考えてしまいます。



ロシアはどこへゆく

2022-03-08 21:31:27 | 時事



今日は3月8日。

「国際婦人デー」です。

いまこの時期において、この国際婦人デーは大きな意味をもって感じられます。
というのも……かつて帝政ロシアを倒したロシア革命は、1917年3月8日に行なわれた国際婦人デーのデモから始まったのです。
おそらく、それにからめた記事があちこちで出ていることと思われますが……女性労働者たちのストライキとデモから、各地の労働者に運動が波及し、ついには革命にまでいたったのでした。

それから、およそ100年あまり……
ロシアは、また大きな変革の時を迎えているのかもしれません。

ということで、今回はロシアについてちょっと書いてみようと思います。
まあこれも、たぶんいろんなメディアで語られているんでしょうが……


ロシアという国名は「ルスの国」という意味です。
「ルス」とは「船の漕ぎ手」という意味であり、スカンディナビア人のことといいます。
プーチンもそうですが、「ウラジミール」というロシア人男性によくある名は、スウェーデン人男性のポピュラーな名前「ヴァルデマール」をスラヴ風にいったものです。

そうなってくると、ロシアの民族性とは何なのかという話にもなるでしょう。
スラブ民族がどうこうといったって、あんたのその名前は北欧のバイキングがもとになってるじゃないかと。

この矛盾の根底には、ロシアの歴史があります。
伝承によれば、スラブ人たちが支配者を求め、その結果としてリューリクというルスの指導者を得たのがロシアのはじまり。そして、そのリューリクというのは、今でいうスウェーデン系の人なのではないかとも考えられているのです。
この伝承がどの程度まで事実なのかはわかりませんが……ただ、そこに、ロシア的な国家観を読み取ることはできるでしょう。
雑然とした無秩序な状態に、強力な支配者が現れることで秩序がもたらされた……その歴史から、くる“強い支配者”欲求ともいうべきものです。


この「強い王」を求める心理が、プーチンという人を支えてきた側面は否定できないでしょう。
そして、それゆえにプーチンの側も強い君主を演じてきた。それが、互いを増幅しあう……その相互作用が行きつく先に、独裁国家におなじみの悲劇が待っていた。それが、今回のウクライナ侵攻であると私にはみえるのです。

プーチンは、イエスマンに囲まれて正常な判断ができなくなっているという分析もあります。

ウクライナ侵攻の三日前に行われたロシア安全保障会議の映像というのが公開されていましたが……そこには、部下を問い詰める、さながらパワハラ上司というプーチンの姿がありました。
イエスマンにとりかこまれ、自分自身を過大評価するようになる。そして、そのイエスマンたちは、パワハラ上司に忖度して都合のいい情報だけをあげるようになっている……このことによって、プーチンは裸の王様化してしまっているのではないか。きちんとした情報も得られないなか、肥大化した自己評価で「俺ならできる」と思い込み、甘い見通しに基づいて行動してしまったのではないか……

これは、“強い君主”というものの恐ろしさを示してあまりあります。

このブログでは何度もいってきましたが、独裁という体制は必ずいつか破綻します。とりわけ、複雑化した近代国家は、独裁体制ではまともに運営できないのです。
近代の世界においては、どんなに賢い指導者であろうと、大きな行動を起こしたときにそれが社会にどういう影響をもたらすか細部にわたって予測するのは不可能です。だから、指導者が無茶なことをやろうとしたら、専門的な知見をもったものが「それは無茶ですよ」と止めなければならない。しかし、独裁体制ではその回路が機能しなくなっている。結果として、無茶な計画が実行されてしまう。いまのロシアが示しているのは、まさにそのことではないでしょうか。

真偽不明な話ですが、ロシアの情報分析官が経済制裁に関して楽観的なレポートを提出していたという話が出てきています。
仮定の話として、ロシアが経済制裁を受けた場合どうなるかシミュレーションしろといわれ、上の人間が満足するようなレポート――すなわち、経済制裁を受けてもたいしたことはない、という楽観的なレポートを出し、いまになって「話がちがうじゃないか」と責め立てられているというのです。
まさに、これでしょう。
こういうことが、政府機関や軍のあちこちで起きているんじゃないでしょうか。
それが結果として「こんなはずじゃなかった」という事態を引き起こしている。その事態が、ロシアという国家に致命的なダメージを与えつつある。だとすれば、まさにそれは、独裁体制に約束された運命にほかならないのです。


そして最後に我が国の話をすると……

日本でも、“強い支配者”欲求というのは相当程度にあるように思われます。
しかも、近年その傾向が強まっている様子です。それが嵩じれば、その行きつく先にあるのは……そう考えると、戦争の悲惨さというのととはまた別の意味で、今回の騒動は日本にとって対岸の火事ではありません。



フョードル・ドストエフスキー『罪と罰』

2022-03-06 16:36:59 | 小説



最近このブログでは、ロシアによるウクライナ侵攻に関する記事を連投しています。

前回は日本漫画協会の声明を紹介しましたが……今回は文学記事として。

取り上げるのは、ロシア文学の巨人ドストエフスキーです。



今回のウクライナ侵攻で、ドストエフスキーの代表作の一つ『罪と罰』がクローズアップされています。

たとえば、イタリアの大学で『罪と罰』の講義を削除するというような話がありました。
ミラノのビコッカ大学というところで、そういう方針が決められたとかで……ただこれは、担当者が強く反論したために方針は撤回され開講されることになったそうです。
まあ、さすがに『罪と罰』の講義を削除というのは行き過ぎでしょう。
先日の記事では、ロシアが軍事行動を続ける限りありとあらゆる制裁を受けるのはやむをえないと書きましたが、ロシアの文化を否定するべきではありません。

そしてもう一件、ウクライナ侵攻をめぐるニュースで『罪と罰』のタイトルを目にすることがありました。
それは、国連総会における一幕。各国の代表がスピーチしていくなかで、ポーランドの代表が『罪と罰』になぞらえてロシアを批判しました。
「ラスコーリニコフは、自分を特別な存在だと考えて罪を犯し、そしてその罪自体から罰を受けたのだ」と。

これは、『罪と罰』の内容に踏み込んだ言説といえるでしょう。
そう。まさにこの作品は、プーチン大統領にむけられたような内容となっているのです。


一応説明しておくと、『罪と罰』は犯罪小説です。
主人公のラスコーリニコフが、金貸しの老女を殺害するのですが……この殺人は、“踏み越える存在”はありうるかという思考実験でした。
つまり、偉大であるために他者を犠牲にすることが許される存在はありうるのか――ということです。自分がそのような存在であるかということを試すために、ラスコーリニコフは殺人を犯しました。
その第5部。理解者であるソーニャに己の罪を告白するシーンで、ラスコーリニコフはこういいます。(以下、引用は亀山郁夫訳・光文社古典新訳文庫版より)

今になってわかるんだ、ソーニャ、頭も心もつよくてしっかりした人間だけが、やつらの支配者になれるってことがさ! いろんなことを思いきってやれる人間だけが、やつらのあいだじゃ正しいってことになるんだよ。よりたくさんのものに唾を吐きかけられる人間だけが、やつらの立法者になれるんだ、だれよりも正しいものは、だれよりもたくさんのことを思いきってやれる人間だけさ!

人間などシラミのようにつぶしてしまえる、そういう存在こそが、権力を持つ資格がある……ラスコーリニコフを捉えたのは、そんな思想です。権力は「身をかがめてそれを拾いあげようとする、勇気ある者だけに与えられる」のであり、彼にとっては、老女の殺害が「勇気をもって身をかがめること」だったのです。

ぼくは知る必要があったんだよ、一刻も早く知る必要があった。自分がほかのみんなと同じシラミか、それとも人間か? 自分に踏み越えることができるのか、できないのか? 身をかがめて拾い上げられるか、あげられないか? ふるえおののく虫けらか、それとも資格があるのか……

踏み越える存在はあるか――
この問いに対するドストエフスキーの答えはニェット(否)だったと私は思います。

ラスコーリニコフは、「ぼくはほんとうにひと思いに自分を殺してしまった」といいます。
できるかどうかを思い悩み、苦しんでいる時点で、自分は“踏み越える存在”ではない。一匹のシラミにすぎない――彼がたどりついたのは、そういう結論でした。

そこには、ドストエフスキー流の実存主義があり……案外それは日本に古くからある思想と通底するものがあるんじゃないかと私は思ってます。
日本の民族的ルーツの一つはロシア東部にあるらしいですが、そういったことも関係しているかもしれません。

そのへんについて話すと長くなりますが……ここで、ドストエフスキーのもう一つの代表作『カラマーゾフの兄弟』の一節を引用しましょう。四兄弟の次男イワン・カラマーゾフが弟のアリョーシャに対して語るせりふです。

もしも子どもたちの苦しみがだ、真理をあがなうのに不可欠な苦しみの総額の補充に当てられるんだったら、おれは前もって言っておく。たとえどんな真理だろうが、そんな犠牲には値しないとな。

プーチン大統領がロシア文化から学ぶべきだったのは、まさにここでしょう。
子どもたちの苦しみを糧として得られる真理などない。その先に、誇るべき国家の姿などありえないのです。

『罪と罰』のラスコーリニコフは、“踏み越える存在”の例としてナポレオンを挙げていますが、そのナポレオンは、ほかならぬロシアへの遠征に失敗して転落していきました。いまプーチン大統領が歩んでいるのは、まさにその道ではないでしょうか。

プーチン大統領に申し上げたいのは、あなたは“踏み越える人間”などではないということです。
あなたも、所詮はただのシラミです。
しかし、せめて、己の犯した罪と、それによって流れた血のために、思い悩み苦しむシラミであってほしい。そうであれば、まだ救いがある。
では、どうすれば救われるのか……最後に、ソーニャがラスコーリニコフに与えた助言を紹介しておきましょう。

いますぐ、いますぐ、十字路に行って、そこに立つの。そこにまずひざまずいて、あなたが汚した大地にキスをするの。それから、世界じゅうに向かって、四方にお辞儀して、みんなに聞こえるように「わたしは人殺しです!」って、こう言うの。そうすれば、神さまがもういちどあなたに命を授けてくださる。




日本漫画家協会から声明

2022-03-04 21:23:36 | 時事

今回も、ウクライナ侵攻に関してです。

先月末の話になりますが、公益社団法人「日本漫画家協会」が、今回のウクライナ侵攻に関して声明を出しました。

以下に、その全文を引用します。




私たち日本の漫画家は、ロシア連邦政府によります、ウクライナへの侵攻に大変心を痛め、速やかな武力行使の停止を願っております。
世界で広く愛されている日本の漫画の隆盛は、第二次世界大戦の終結による、自由に漫画の描ける時代の到来とともに始まりました。戦争のない、平和な歳月こそが、今日の漫画の隆盛の礎であります。
豊穣な日本の漫画の世界を拓かれた偉大な先人の多くは、苛烈な戦争の生存者であり、その創作の根底に「もう二度と戦争のない世界を子供たちに」という、渾身の祈りと慈愛を作品に込めました。
それらの宝物を渡された世代が、漫画の表現者として育ち、今、世界に拡がる日本発の漫画すべてに祈りと慈悲の遺伝子が受け継がれているといっても過言ではないでしょう。
ウクライナで、ロシアで、世界中で、日本の漫画が愛されていることは私たちにとって大きな喜びであり、その読者すべてもまた、平和の祈念の遺伝子の継承者なのです。
私たちが愛してやまぬ、創作という行為、それにより生み出される「繋がり」や「親和」とまったく相反する、破壊、殺戮、分断等を生じさせる武力行使の速やかな停止を私たち日本の漫画家は切に望みます。



戦争のない、平和な歳月こそが、今日の漫画の隆盛の礎……まさに、そのとおりでしょう。こうして漫画の世界からも声があがっていることは、頼もしいかぎりです。

侵攻したロシアに対する批判の声は世界中で拡大し続け、制裁措置などもその苛烈さを増しています。
一部やりすぎではないかという批判もあるようですが……しかし、この件に関しては、ロシアが軍事行動を続けているかぎり、ありとあらゆる制裁を受けるのはもうやむをえないと私は思います。
言いたいことがあるなら、まず軍事行動をやめろ、話はそれからだ。軍事行動を続けているかぎり、ロシアの言い分には一切耳を貸さない――ということでいいんじゃないでしょうか。







ウクライナ侵攻と日本のツイッター…

2022-03-01 21:33:12 | 時事


一昨日の記事の続きです。


ウクライナ侵攻に関するネット上の言説を見ていてもう一つ気になったのは――まあこれも相変わらずなことではあるんですが――オンライン世界における冷笑文化です。

ツイッターを見ていると、戦争反対といったタグが出来ていて反戦の声があがっているわけですが、その一方で、冷淡なつぶやきも散見されます。
戦争反対なんていったところでなんの意味もないとか……
これに関しては、戦争反対といわなければもっとやばくなるだろうとしかいいようがありません。
実際問題として、世界中で反戦の声があがっていることは、それが各国の首脳や大企業などを対露制裁にむかわせ、プーチン大統領をかなり焦らせているように見えます。戦争反対の声をあげることは、決して無意味ではないでしょう。

あるいは……「意味がない」論とは別に、反戦の声に対して、いい人ぶるなよみたいな反応を見せる人もいるようです。
この無茶苦茶な戦争に反対することにさえ、そういう見方をしてしまうのか……と思わされます。
しかも、ネトウヨ系政治アカウントなどではなく、普通の音楽系アカウントがそういうことをつぶやいていたりする。これが、日本がどんどん衰亡していく理由の一端なのではないかと思えました。
戦争に反対するのに、別に難しく考える必要もないでしょう。
こんなどう考えても無茶苦茶な戦争にさえ、ストレートに反対といえないのか、と。

ここで、名曲を一曲。
カーティス・メイフィールドの We Got to Have Peace です。

Curtis Mayfield - We Got To Have Peace (Official Lyric Video)

 
 僕らは平和を手にしなくちゃ
 世界を生かし
 戦争を終わらせるために
 僕らは喜びを手にしなくちゃ
 心からの喜びを
 壊すことのできない強さとともに 
 
 みんなが聞いてるよ
 僕らの声をとおして世界は知るんだ
 ほかに道はないと

 子どもたちを救ってくれ
 なにもわからずにいる小さな子どもたちを
 彼らにチャンスを与えてくれ
 子どもたちを育て 世界を清らかにしていくチャンスを

 もしできるならば 隣人たちは
 互いに手をとりあい 善いことのために
 力をあわせるだろう 
 僕らみんなに等しいチャンスを
 それは、すばらしいロマンスさ

 死んでいった兵士をもし連れ戻すことができたなら
 彼はきっとこういうだろう
 僕らは平和を手にしなくちゃ
 世界を生かし
 戦争を終わらせるために
 僕らは喜びを手にしなくちゃ
 心からの喜びを
 壊すことのできない強さとともに 

たぶん冷笑系の人たちは、こういう歌詞を読んで生理的嫌悪感をおぼえるのだと思います。

まあ、中学生、高校生ぐらいであれば、所詮は偽善だろというふうに反発するのもわかりますが……そんなのは、せいぜい二十歳ぐらいで卒業してほしいな、と。
その感覚のままで年齢だけを重ねてしまった幼稚な大人たちが跋扈してしまっているのが、いまの日本の悲しい姿なんじゃないでしょうか。