手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

あの日から66年!!! 特別の感慨があるわけじゃないけれど

2011-08-15 18:32:46 | 身辺雑記
昭和20年8月15日、私は15歳だった。永山農業学校の一年生で6月から、永山と当麻の境に有る射的山の所の梅津さんという農家に援農に派遣されていて、その援農の最後の日だったのだ。

 学校に戻り翌日から一週間の夏休みになるにで、午後の汽車で上川の実家へ帰れるのを楽しみにしていた。

 気持ちは帰宅のことでいっぱいだった。それが、重大な放送があるからと職員室前に集合させられた。そして、良く聞こえないラジオで玉音放送を聞いたのだった。

 それが、ポツダム宣言を受け入れる、降伏の宣言だったのだ。

 日本が降参した!!! ただ信じがたい気がして、呆然とするばかりだった。喜びも悲しみも無かった。ただそれを受け止めるだけだった。

 あの日から、66年・・・という放送を聴きながら、改めて15歳のときだったのだと確認している。

 私はそのときの年齢だとか、それから何年たったとかそのようなことにきわめて無頓着だ。自分の年齢を言うのに西暦を使うことが便利だと思ったのは、丁度区切りのよい1930年が生まれ年で、とても数えやすいという事からだった。

 それ以来、昭和とか平成とか言うのはやめた方がいいのにと思うようになっている。昭和何年が平成元年かと咄嗟に言われたら答えられない。結婚したのは昭和何年だったっけ? 銀婚式と金婚式とかという言葉は知っているけれど、自分に当てはめて考えたことがない。

 1930年生まれ、15の年から66年たった81歳、まだ結構元気だ。この後米寿くらいまでは頑張りたいものだ。そのときは、自分から言い出してパーズディの祝杯を挙げますか。

 
コメント
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