手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

「慟哭は時を越えて」 劇団一揆が公演

2011-08-20 18:28:18 | 随筆「残響」
先日第二教場の小林さんから、村橋久成をテーマとした演劇が公演されるという話を聞いていた。

 昨日、その案内ポスターをいただいた。

 先日その話をブログに書きました。それに、久成の胸像移転記念に公演された演劇とのかかわりについての疑問を書いたのでしたが、どうやら、あの時の脚本を劇団の団長である橋田志乃舞さんが脚色、演出で発表することになるようです。今回はしっかりした劇団が公演するのです。

 以前「ちえりあ」で公演されたときは、急ごしらえで、役者も一人二役くらいしなければならない様子で、劇的盛り上がりにやや欠けていたように感じました。

 私は、演劇にあまり興味が無いといえば言えるような立場ですし、それだけに劇団一揆の名前も知りませんでした。しかし、この作品は第30作となるそうです。ぜひ見学に行こうと思っています。

 ただ、久成を劇として作るにはとても難しいところが有ると思います。

 久成が麦酒醸造所は札幌にすべきだと建議し、それを実現した苦労。成し遂げた喜びの中に秘められていた北海道開拓への願い、それを裏切る醸造所の民間への払い下げ。その流れの中に潜む何かが、ただ辞職するだけでは気持ちを収めることも出来ない極限へと村橋を追い詰めたのだと思う。

 空白の10年、行路病者として倒れていく村橋の心をどのように表現するのだろう。

 そのあたりが、「慟哭」につながるし、どのように作り上げられているか楽しみです。

 「残響」で村橋をこの世によみがえらせた田中先生、そして鹿児島での中村先生との出会い、そして胸像「残響」が知事公館に移設されるまでの話。ここにもドラマが有る。

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第二教場  全員出席

2011-08-19 17:12:50 | 詩吟関係
午前中パークゴルフに行ってきました。8時過ぎに家を出、駐車場に入ったらすぐ続いてきた車が工藤さんでした。工藤さん、大島さんが来ることになっているという。赤のFITが止まっている。先に来て入っているのじせゃないといいながら二人でバッタコースに入る.でもどうも姿が見えない。とにかく回っていた。5番に来たとき大島さんが来て、そこから一緒した。11時に帰宅。

 午後は第二教場、今日は全員10名が出席でした。お盆休みがありましたので、久しぶりの感じでした。

 みんなそれなりに稽古をしてきているように思えました。

 最後合吟の稽古をやりました。男性、二本で私の声に負けないようにといってやりました。そこそこ付いて来てくれました。女性も、新人の二人、声では先輩以上の声があり何とか合わせて出来ていました。

 新人の二人の本数迷っていたのですが、最後残して試してみました。7 本にあげてみました。大丈夫なのです。姉の方、5本でやらせていたのですが、クリアできない壁があり、指導で迷うこともあったのですが、おもいきって、7本に上げて見たらクリアできた。妹さんは6本で取っていたのですが、7本大丈夫という感じはしていたので、やらせてみたら問題なしでした。

 とても熱心だし、年齢も比較的若いから、これからが楽しみです。

 手稲文化祭の吟題、女性合吟「偶成」男性合吟「勧学文」としました。それに私の独吟で「勧学」を加え、テーマを”学問の勧め”で参加することにします。
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泊原発3号機営業運転  高橋知事の決断に

2011-08-18 16:32:22 | 無題
菅首相の脱原発発言以来、ほとんどの関連知事は、再稼動許可をためらっている。そんな中、議会でも大変だったようだけれど、営業運転許可に踏み切った。

 この三号機は、試験運転中のもので、新たに稼動させるものでないということはあるけれど、これを動かさないで行けば、原発三基とも停止となる。そうなると、北海道の電力は決定的に不足になる。そのリスクを避けるための決断だったと思う。

 同じ思いの地方は多いはずだ。今、原発の安全神話は、神話でしかなく、脱原発に全面的に進むべきチャンスの到来でも有る。しかし、電力需給のバランスを何とか保たなければならない問題がある。その保障に当面既存の原発に頼るということが有るけれど、それを許すと脱原発の勢いを鈍らせるかもしれない。

 しかし、国家的戦略として、脱原発への一大ブロジェクトを展開してほしい。日本が国を挙げて取り組めば、世界の最先端の新電力国家への成長も夢ではないと思う。

 一朝一夕のことではないにしても、出来ないことは無いはずだ。四国の或る町では電力自給を目指し、大変な成果をあげているのが報道されていた。

 数年前稚内に行った折、途中の海岸に風力発電の風車が林立しているのを見た。そして、稚内岬の高原にずらっと並んだ風車の姿に圧倒された。

 風力発電、太陽光発電、地熱発電、水力発電、さらにはバイオ発電、日本にはまだまだ発電の開発が出来る余地が有る。また、蓄電技術もまだまだ高める可能性は有るのでしょう。

 先日テレビで昭和史の研究をされているある先生が、日本が太平洋戦争に突入したのと、原発神話は全く同じだといった言葉が凄く印象的だった。
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健幸クラブ詩吟  

2011-08-17 17:33:59 | 身辺雑記
今日は健幸クラブの詩吟です。5名の参加でした。

 今日も前回と同じ稽古、「山中の月」を初めにやりました。何時もは私が先導して素読をして、続けて一人づつ素読をさせます。今日は私素読を省いて、一人づつ素読をしてもらいました。とても上手に読んでくれます。資格審査を受ける人でないのですが、とても熱心で自宅での稽古もしていると思います。吟に入ってコンダクター伴奏で一回り、終わって七本で合吟させてみました。とてもいい吟です。男性もうまく音をとってくれていました。

 山中の月を終わって「山中幽人と対酌す」をやりました。最初はコンダクターの伴奏をつけ、続けて前奏だけでの吟と二周りします。普通、コンダクターを離すと、吟が崩れる人が多いのですが、ここの方たちはほとんど狂わない。終わって休憩しましょうといったら、やってないのがあるという。先回、歌謡吟「もう一献」をやったのですが、それを期待していたのです。後でといって休みに入ったら、歌の稽古を皆やりだした。ほとんど覚えていて、若干覚え切れていないようなところは皆で思い出しあっている。それで、休みながらテープを聞かせ、ついでに皆で稽古してもらいました。吟から歌まで、カラオケできちんとと出来ました。

 最後、25日の健幸クラブ交流会での発表吟をテープで稽古してもらって終わりました。

 詩吟の楽しみは、聞いてもらうところにもあります。その場合詩吟の判る方に聞いてもらうのと知らない人に聞いてもらうには、全く違うものがあります。詩吟の判る人からの評価が本当の評価になるわけで、何もわかっていないかたの評価はお世辞でしかないでしょう。

 いい吟をするようになっているだけに、吟会に所属して、吟友に聞いてもらえるようになってくれたらいいのにとつくづく思います。
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盂蘭盆会法要  お寺に行ってきました

2011-08-16 17:45:05 | 身辺雑記
今日は朝から降ったり止んだり、一日中雨模様でした。

 盂蘭盆会法要、お寺は中央区の南16西8です。駐車場に入る関係もあり10時30分に着く予定で出かけた。ちょっきり着きました。いい場所に車を入れることも出来ました。

 雨だからお参りの方が少ないかと思ったら、いつもより多かったみたい。住職が最後に一軒一軒の声明をあげるのですが、声が続いてよかったとおっしゃっていた。

 いつものことで、法要が終わってからは食事をいただいて帰宅。赤飯に吸い物、そしてオデン。

 帰宅して高校野球を見ながらうとうと昼寝していた。

 今晩はこれから日ハム対ロッテの試合をPCの動画放送で見ることにします。
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あの日から66年!!! 特別の感慨があるわけじゃないけれど

2011-08-15 18:32:46 | 身辺雑記
昭和20年8月15日、私は15歳だった。永山農業学校の一年生で6月から、永山と当麻の境に有る射的山の所の梅津さんという農家に援農に派遣されていて、その援農の最後の日だったのだ。

 学校に戻り翌日から一週間の夏休みになるにで、午後の汽車で上川の実家へ帰れるのを楽しみにしていた。

 気持ちは帰宅のことでいっぱいだった。それが、重大な放送があるからと職員室前に集合させられた。そして、良く聞こえないラジオで玉音放送を聞いたのだった。

 それが、ポツダム宣言を受け入れる、降伏の宣言だったのだ。

 日本が降参した!!! ただ信じがたい気がして、呆然とするばかりだった。喜びも悲しみも無かった。ただそれを受け止めるだけだった。

 あの日から、66年・・・という放送を聴きながら、改めて15歳のときだったのだと確認している。

 私はそのときの年齢だとか、それから何年たったとかそのようなことにきわめて無頓着だ。自分の年齢を言うのに西暦を使うことが便利だと思ったのは、丁度区切りのよい1930年が生まれ年で、とても数えやすいという事からだった。

 それ以来、昭和とか平成とか言うのはやめた方がいいのにと思うようになっている。昭和何年が平成元年かと咄嗟に言われたら答えられない。結婚したのは昭和何年だったっけ? 銀婚式と金婚式とかという言葉は知っているけれど、自分に当てはめて考えたことがない。

 1930年生まれ、15の年から66年たった81歳、まだ結構元気だ。この後米寿くらいまでは頑張りたいものだ。そのときは、自分から言い出してパーズディの祝杯を挙げますか。

 
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久しぶりの雨・・・でももう少し降ってほしかった

2011-08-14 19:03:40 | 身辺雑記
朝からどんよりとした雲が空を覆い、いつ降ってもおかしくない状況だった。風も久しぶりに涼しく感じられ、扇風機も必要でなかった。

 午後から文化祭に向けての吟譜を整理する。象堂流のとき使った朱熹の「勧学文」を新しく作り直し、印刷まで終わらせる。もう一枚、張九齢の「鏡に照らして白髪を見る」を作った。

 今回は「勧学」で行くこととする。女性合吟「偶成」男性合吟「勧学文」として、私が独吟で、陶淵明の「勧学」か張九齢の「鏡に照らして」をやることにしようかと思う。

 詩文はプロジェクターで写し、素読を先に代表にさせて、テープの伴奏で吟をやることにしたい。

 そんな仕事をしていたら雨が来た。久しぶりの雨、二階の部屋も涼しくなる。最近は二階で仕事をするのが辛くなっていた。扇風機だけでは汗まみれになってしまうのです。今日は久しぶりに仕事も出来ました。

 でも、もう少し降ってほしかった。畑には恵みの雨でしょうが、作物が生き生きするまでは降ってくれなかったように思う。

 明日は8月15日・・・終戦記念日・・・あの日私は永山農業の一年生で、援農の最後の日だったのだ。あの日のことがよみがえる。
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文化祭の吟題どうしよう

2011-08-13 18:04:34 | 詩吟関係
手稲文化祭への出吟、今月中にプログラムを提出することになるのだが、まだ決断できないでいる。

 当面、10月2日の全道大会の合吟の稽古に追われていて、それをそのまま文化祭に出すのはOKなのだが,それだけでは不足なのです。

 男女の合吟、是は例年のパタン。このあとに何を持ってくるか。昨年は私の独吟一つにしたのだったと思う。プロジェクターを使って解説をいれ、さらに吟の頭に代表が素読をして吟に入り、私のときは、私の先導で会場の観衆にも素読に加わってもらったりしたのだったと思う。

 このパターンを踏襲するとすれば、今予定している合吟を変更しなくちゃならない。

 いっそうのこと変更してみようかな・・・。去年は「黄河悠々」でやったはずだ。

 11月の「年忘れ芸能大会」は、全道大会に札幌西支部で出す構成吟をそのまま、やってみるつもりなので、その辺のかかわりも念頭に入れて企画しなくちゃならない。

 本気で今週中に結論を出そう。
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やっぱり原発は廃止すべきだ

2011-08-12 19:14:12 | 政治
脱原発を菅首相が宣言したとき、それは結構だけれどそれまでには一定のプロセスを経なくてはならないと思っていた。

 一気に原発を停止してしまうと、電力不足で大変なことになるだろうと考えていた。現在でもかなり窮屈な状況なのだから、すべての原発が停止したら、企業が動けなくなるだろう。そればかりでなく、原発に依存していた地域は大変な打撃を受ける。さらに従業員の失職など問題は深刻だ。

 そんなことを考えても緩やかな変換をすべきと考えていたけれど、おもいきって決断しない限り、新しい発電への取り組みも甘くなる。福島を教訓として、新規運転はすべて認めず、順次停止させることに賛成したい。

 高濃度廃棄物の埋蔵施設も無いまま運転を続け、使用済み核燃料の再処理施設、「もんじゆ」もまだ運転できる目途も立っていない。

 今全部運転を止めても廃炉までには大変な時間が必要だという。新しい厄介者、まかり間違ったら、福島の二の舞になりかねない原発は、はっきり終止譜を打って、新しい発電施設の立ち上げに総力を挙げるべきだと思うようになった。

 また、核廃棄物処理の埋蔵施設何としても作り上げてほしい。ただ、幌延は約束があるのだから、それを使うのはよくないと思う。
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「蛇の目」の寿司

2011-08-11 19:01:37 | 身辺雑記
明日は旭川に墓参りに出かけます。両親が旭川にいた折、観音台に墓所を定めていたのです。例年、12日か13日に墓参することにしています。

 お昼頃墓参を終えて、7年前までは、中富良野のラベダーを見て富良野周りで帰宅していたのですが、毎年同じコースも面白くない、たまに留萌を通って海岸伝いに帰って見ようということになました。ついでに留萌で昼食にすることとした。留萌について、寿司の美味しいところをたずねたら、「蛇の目」を紹介された。とても気に入りました。それ以来、毎年ここの寿司を食べるのを楽しみにしています。食事の後、黄金岬に立ち寄り、海に足を浸してから帰宅するのです。

 一年ぶりの蛇の目のお寿司楽しみです。天気も良いみたいだし、きっと良いドライブになると思います。

 お盆休み、この暑さも今日がピークみたいだ。パークゴルフ行く気になれる気温になってほしい。八月に入ってから真夏日となり、とてもパークゴルフで汗まみれになるのが億劫でさっぱり出かけていない。お盆で詩吟の教室も一週間ほど休みになります。パークゴルフが楽しみですが、もう少し涼しくなってほしいものです。
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