ふと長崎の姉のことを思った。8つ違い。幼い日、まさに母親代わりだった。
その姉のことを短編小説にしたことがあり、このブログでも
「ねえちゃん」のタイトルでアップしている。
小学校3、4年生の頃、まだ結婚前の姉に連れられて、
後の義兄がいる海辺の町に行った時の話で、以下はその一場面だ。
(この部分はノンフィクションです)
僕が釣ったあのアジゴはフライになって晩御飯の食卓に置かれていた。
もちろん、姉の手料理だった。姉、義兄と3人の食卓は何か不思議な感じがした。
姉がお母さん、義兄がお父さんみたいな……。
「姉ちゃんは、なんで大浦小町とか言われとると?」
いきなり僕がそう言うと義兄は、「ハッハッハー」と大笑いし、姉は顔を赤らめた。
なぜ、こんな話をしたのだろう。自分でも分からない。
ここに来てからずっと姉がうれしそうな顔をし、
輝いているように見えたからかもしれない。
「おうち、そがんことば、どこで聞いてきたんね」(※おうち=あなた)
「近所の兄ちゃんたちが、そがん言うとらした」(※そがん=そんなに)
「あんね、小町というのは美人、きれか女の人ということたいね。
姉ちゃんはきれかやろうが。そいで、小町って言われとるとさ」
「ふーん、じゃ大浦って何?」
「そいはね、○○君たちが住んどる所が大浦町やろ。
そいで、大浦町でいちばんきれか女の人を、大浦小町と言うとたいね」
「そがんことね。やっぱい、姉ちゃん、きれかもんね。
だから、おじちゃんも姉ちゃんば好いとっとね」
今度は義兄が苦笑いだ。
「ほんと、せからしか子やね。早よ、ご飯ば食べんね」(※せからしか=うるさい)
姉はそう言いながら、義兄の顔を見てニコリとした。
フライは瞬く間になくなり、義兄が作った食後のアイスキャンディーは、
満足のおまけだった。
6人いた兄弟姉妹は、すでにこの姉と2人きり。
長いこと闘病生活を続けている。
見舞いに行ったのもいつのことだったか。
覚えていないほど前のことだ。
まだコロナが気がかり。もうしばらく我慢するしかないか。