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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

ココ・シャネルの流儀

2009-08-10 | 映画
 8日公開の映画「ココ・シャネル」を観た。
 監督はクリスチャン・デュゲイ、70歳になった1954年当時のココをシャーリー・マクレーンが演じて貫禄を見せ、自分のスタイルを確立するまでの若い時代の彼女をバルボラ・ボブローヴァが魅力たっぷりに演じている。
 ココの経営上のパートナーであるマルク・ボウシエを演じている白髪の老人が誰なのか、映画に関する事前情報を何も知らずに映画館に入ったので分からなかったのだが、あの「時計仕掛けのオレンジ」のマルコム・マクダウェルなのだった。容赦のない時の経過というものを感じさせる変貌ぶりで驚いてしまったけれど、この間のキャリアがその演技に幅と厚みを与えていると感じさせる。
 不思議なほど私はこれまで彼の出演作を観る機会がなかったのだが、最後に観たH・G・ウェルズ原作の映画「タイム・アフタータイム」でさえ1979年の作品なのだから、あれからもう30年も経っていることになる。それこそタイム・マシンに乗ってあの時代から一挙に現代まで来てしまったような気がする。

 さて、映画自体はおそらく星3つというほどの出来ではないかと思うけれど、私は個人的にファッションや20世紀初頭の雰囲気を楽しんだし、ココ・シャネルという人物に改めて興味を惹かれた。
 ファッションのそれまでの歴史を一挙に覆し、「皆殺しの天使」と呼ばれたシャネルだが、齋藤孝著「天才の読み方」によれば、彼女自身は芸術家と自分を混同することはなかったそうだ。
 20世紀初めのパリを彩るピカソやダリ、コクトーやラディゲ、ストラヴィンスキー、ディアギレフら綺羅星のような芸術家たちと親しくつき合い、あらゆるものを吸収し、時には経済的な援助とともに辛らつな批評を与えもしたのだったが、自分はあくまで職人であり、仕事はビジネスであることを冷徹なまでに自覚していた。
 シャネルが属する服飾業界では、コレクションで失敗して買い手がまったくつかないということは、そのままその人の仕事の評価に直結している。その彼女の服が流行らないことを意味し、それは世の中から消え去ることなのだ。世間に理解されない芸術家などという気取ったポーズをとることは出来ないのである。
 シャネルは常に自分を世間の評価にさらし続けることで、冷静に「自己客観視」することができていたということなのだろう。

 映画は、第二次世界大戦の開始とともに半ば服飾業界から身を引いていたシャネルが15年ぶりにコレクションを発表するという1954年から始まる。その発表は惨憺たる結果を招き、悪評にまみれるのだが、そこから彼女は決然と再起しようし、映画は少女時代の父親との別れ、孤児院での生活、お針子となってパリに出てからの様々な場面を回想しながら展開する。
 映画のラスト、復帰2回目のコレクションは大成功を収める。以後、彼女はアメリカに進出、不滅のシャネル帝国を築いていくのだが、87歳で死ぬ前日までコレクションの発表に備えて働いていたというほど、彼女自身はいつも鋏を手にし、働きに働いた人であった。
 「私は日曜日が嫌い。だって、誰も働かないんだもの」というシャネルの言葉があるが、映画の中の彼女も、たとえ恋人と愛し合っている時も別れに打ちひしがれた時も絶えず働き続けていた。
 全ては仕事に立ち向かうエネルギーやアイデアへと転嫁されていく。その有り様が素晴らしい。

 名言の多いココ・シャネルだが、映画にもいくつかメモしておきたい台詞があった。
 「素材は安価なものでかまわない。大切なのはビジョンよ」もその一つだ。
 それから次の言葉も記憶に価するだろう。
 「私は流行をつくっているのではなく、スタイルをつくっているの。流行は色褪せるけれど、スタイルだけは不変。流行とは時代遅れになるものよ」

 引用だらけになってしまうけれど、先ほどの齋藤孝氏の「天才の読み方」に私の好きなエピソードがある。
 ある時期、シャネルはピカソと親しく付き合っていて、そこにダリと夫人のガラが絡んでくる。ガラはピカソの評判に腹を立てていて、彼のことをこき下ろす。
 それに対してシャネルは言う。
 「彼は、あなたが言うほどばかでもないし、世間が言っているほど天才でもないわ」
 それに対してガラが、それではダリのことをどう評価するかと聞く。
 シャネルは自分の皿の上に一粒残っていたグリーンピースを指で弾いて「ほら、それよ」と言い放った。

 シャネルはピカソのことを認めていた。彼はその強烈な個性と魅力で彼女をたじろがせた唯一の男であった。


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