毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

処暑と巨大雷

2017-08-23 09:34:47 | 日記

 きょうは24節季の1つ処暑。秋も深まったというのに、残暑はきびしく、最高気温が35℃以上となる猛暑日が続いている。夜も25℃以上の熱帯夜が続く。

 それに比べ、東京は雨の降らない日が22日も続いている。東北地方も冷夏で日光不足となり、稲や野菜などの作物に大きな影響が出そうだ。そのためか当地でも、葉野菜などが値上がりし、家計への影響が大きいようだ。

 今年の天気は異常としか言いようがない。

 ゲリラ豪雨による被害が各地で起きている。江戸川河川敷での花火大会。台風並みの風と雨、雨に交じってひょうも降ったという。短い時間に1000回以上の雷が鳴ったそうだ。1日では6500回という。

  昨夜午後6時過ぎに、愛知県で巨大積乱雲が、発生し雹(ヒョウ)が降り、竜巻も発生した。巨大落雷は7000回を超え、住宅が燃えた。火は屋内の配線を伝って広がり、消化器も水も消火に役立たなかったそうだ。

 テレビは一斉に雷対策を特集しているが、いずれにしても怖いの一言。自然の恐ろしさに抗うすべもない。

 この異常気象、地球温暖化の精だろうか。「パリ協定」に反対するトランプ大統領に一言、地球絶滅の時期が迫っていることをご存じだろうかと。

 夏の高校野球はきょう午後2時から決勝戦が行われる。広島広陵対花咲徳栄。どちらもがんばれ。

 32年ぶりに清原選手の持つホームラン記録を更新した広陵捕手の中村選手。決勝戦でのホームランを大いに期待したい。 

 


新幹線に乗って姪の結婚式へ

2017-08-20 12:40:59 | 日記

 姪の結婚式が福岡であった。博多までは新幹線。新幹線に乗るのは1年ぶりだろうか。熊本駅から博多駅までは38分。その早いこと早いこと。改めて驚いた。

 年を重ねるごとに外出の機会は少なくなり、その範囲も狭くなっている。38分間の楽しい新幹線の旅は、今日の主役、花嫁さんからの素晴らしい贈り物と、感謝。感謝。

 結婚式では、いつも疎遠になりがちな兄弟姉妹や甥や姪。親類縁者の方々とお逢いでき、楽しい会話が弾んだ。幸せなことこの上ない。

 披露宴に参加された方々のうち、多分最高齢だろう老夫婦。新郎新婦に「ご結婚おめでとう。これからのご多幸とご健康を心から祈っています。」とエールを送った。

 

 

 

 

 

 


甲子園・秀岳館の夢が砕けた

2017-08-18 20:35:57 | 日記

 大好きな甲子園の高校野球も3回戦まで進んだ。野球の開催中は朝からテレビの前に座り込む日が続く。

 熊本代表の秀岳館は17日第1試合で広島広陵と対戦。「秀岳館がんばれ」とテレビの前で息もつかずに応援したが、その甲斐なく秀岳館は6対1で完敗。

 まだ、甲子園で優勝経験のない熊本のフアンは、秀岳館に真紅の優勝旗を持ち帰ってほしいと願っていたが、その夢は試合終了のサイレンとともにまた砕けさった。残念。

 秀岳館の選手の皆さん。

 秀岳館が破れ次に応援するのは九州勢。3回戦は大分の明豊と鹿児島の神村学園。九州勢の同士討ち。息もつかせぬ好試合を展開した両チームは延長戦にもつれ込み12回裏に明豊が押し出しで1点をあげさよなら勝ちした。

 明豊に秀岳館の分までがんばり優勝してほしいと、こんどは明豊の優勝を祈り必死に応援することとしよう。

 


送り火の行事「精霊流し」

2017-08-17 13:39:33 | 日記

 「山の日」から始まった今年のお盆。連日、大雨警報が発令され、外に出るのもままならず、お盆のお墓詣りができなかった。涼しくなって出かけようと、我が家の中からご先祖様に頭を下げた。

 16日は送り火(おくりび)。送り火はお盆の行事の1つで、お盆に帰ってきた死者の魂を現世から再びあの世へと送りだす行事とある。今年のお盆は天候不順に見舞われたが、送り火に行われる行事はいつもの年と変わらず、各地で行われたようだ。

 山鹿市の夏祭り「山鹿灯籠まつり」の呼び物「千人灯篭踊り」は16日夜、山鹿小学校グランドで開かれた。金・銀の和紙で作られた金灯籠(かなとうろう)を頭にのせ、そろいの浴衣姿の女性約1000人が、やぐらを幾重にもとりまきながら、当地の民謡「よえほ節」で踊る姿は、まるで幻想の世界。

 送り火に行われる精霊流し(しょうろうながし)は、長崎県の各地、熊本県の一部及び佐賀市でお盆に行われる、死者の魂を弔って送る行事。中でも長崎の精霊流しは豪華絢爛といおうか、賑やかさもまた格別。初盆を迎えた 故人の家族が精霊船を曳き、鉦をたたき、爆竹の音を鳴り響かせて、街中を練り歩き、故人の霊を極楽浄土に送り出す。

 長崎に住んでいたおりに1度だけだが、県庁坂で精霊流しを見物したことがある。人づてに見物するときには、耳栓が必要と聞いていて、”うちの奥さま”に耳栓をと話すと「大げさな」と一笑に付されたことを思い出す。

 熊本市川尻の精霊流しは400年以上の歴史がある。闇の中を無数の精霊船(西方丸)や万灯篭が静かに流れていく。

 月を経るごとに友人、知人、親類縁者からの訃報の数が増えてくる。傘寿を過ぎて残りの人生もあとわずか。有意義に予後を過ごしたいものだ。

 


「終戦の日」でなく「配戦の日」と言っていた父

2017-08-15 20:14:10 | 日記

 きょう8月15日は72回目の終戦の日。政府主催の全国戦没者追悼式が東京都日本武道館で行われ、正午から参列者全員で黙とうが捧げられた。

 当時少年だったわたし、その日のことは鮮明に覚えている。青空の広がる暑い日だった。幸い空襲警報のサイレンはならない。近くの公園にセミを採りに出かけようとしたわたしに、父が昼までには帰ってくるようにという。

 12時近くに家に帰ると父と母、それに祖母の3人が居住まいを正してラジオの前に座っていた。「天皇陛下のお言葉がある。そばに座りなさい」と父が言う。

 放送が始まった。ラジオから流れる陛下のお声を初めて聴いた。ざわざわと雑音が入りよく聞き取れない。それよりもお言葉の意味が10歳だったわたしには理解できない。放送を聞き終わったとき、父が涙顔でつぶやくように「戦争に負けた」と家族みんなに話してくれた。

 8月15日がいつから「終戦の日」といわれるようになったのだろうか。父はこの日を「終戦の日」といわずに「敗戦の日」といっていた。その年11月23日、新憲法が公布された。同じ日に父はこの世を去った。

 朝からの大雨だ。大雨警報も発令された。東京では雨が15日間も降り続いているという。東日本は日照不足で、農作物の収穫が心配されるという。全国各地で50年に1度の記録的大雨警報が発令されている。雨のため甲子園の高校野球も1日延伸された。暦の上では秋というが連日の猛暑には閉口する。

 涼しい、秋の来るのはいつになるのだろうか。待ち遠しくてならない。