n45-50

ロシア・サハリンと北海道を結ぶ架け橋ネット。
サハリン州には。、ロシア人もウクライナ人も住んでいる混住地域です。

東京では気にされない福島での状況

2011-04-26 08:01:29 | ロシア・地震予知情報
日本での大地震のあとの福島第一原子力発電所の状況について、世界の専門家らは状況の悪化が進んでいると見ている。
結局、冷却システムの復旧はできないままとなっており、解決できていない問題は山積みとなっている。
 その一方で、日本での生活は日常のペースにもどりつつあり、恐怖を忘れてしまいたいという思いが強くなっている。

 専門家らは、福島第一原発の周りの放射線量について、すでに先週の時点で、基準の1万倍のレベルを観測しているほか、発電所の隣の海域では、すでに基準の4500倍の放射性ヨードの含有率が記録されている。また土壌のなかには、放射性プルトニウムも発見された。

 さらにもうひとつの問題となっているのが、放射性の灰、ちりの問題だ。風によって、放射能汚染された砂や他の物質が空に舞い上がり、周辺に撒き散らしてしまうことが指摘されている。
理論的には、液状の合成樹脂を撒く方法が考えられている。
発電所の上から特殊繊維からなったカバーを掛けることで、表面化した放射能とその汚染物質の拡散を和らげることができる。
しかしそのような対策がいつとられるのかについては、いまだ明らかとはなっていない。まずは、原子炉を冷却することが急務となっているからだ。

 事故現場でいったい何がおこっているのかについては、対策にあたっている現場の人にしか分からないものだ。
報道関係者に対して、東京電力福島原発の現場担当者と東京事務所との間のメールのやり取りが明らかとなった。

 また原子力発電所の現場作業員のほとんどが地元住民であり、その人たちとその家族は地震および津波の被害を受け、多くの人は家を失っている。

 明らかになったメールのひとつでは、次のように書かれている。

「沿岸部に位置する実家は、津波が襲い、いまでも両親がどこにいるのか分からないままです。しかし避難体制が敷かれているため、家に近づくことはできません。
そのような心理状態のもと、非常に大変な作業をしなくてはなりません。
しかし東京電力の社員として、自らの職務を全うすることに務め、地震被害者としての心配はその後のこととなるでしょう。」

 一方で福島第一原発から半径20キロ圏内の住民たちは、日本でも村八分の状態となっている。
病院での診察をうけるのにも、放射能被爆がないことを証明する書類が必要とされている。
また放射能被爆への恐れから、地元行政府は原発周辺の地震、津波犠牲者の遺体を運び出すことをためらっている。
遺体を火葬にすれば放射能物質が大気中に舞い上がるおそれがある一方で、土葬にすれば土壌が汚染される危険性がある。
国際原子力機関(IAEA)は、放射線量の増加から、避難地域を半径40キロ以内に拡大するよう求めている。

 しかしそこから南へ240キロはなれた日本の首都東京では、まったく違う生活が行われている。
たしかに電気の節約のため、無駄な照明やネオンが消され、すこし暗くはなったものの、ショックからは立ち直っていると、ロシア東洋学研究所の主任研究員で、現在拓殖大学で務めるワシリー・モロジャコフ氏は「ロシアの声」とのインタビューのなかで話している。

―日本政府は東京の住民をはじめ、すべての国民に対して、電気の節約を呼びかけている。
たしかに夜外にでると、すこし暗くなったと感じますが、それは何か怖いことを呼び起こすようなものではない。
無駄な電気が消されただけで、何か生活が変わったということではない。東京ではなんの懸念もされてはいない。それに日本人は非常に意識の高い人々だ。もしも国民一人一人が1つか2つの照明器具を消せば、実際に大きな節電効果を生むからだ。

 人々は単に、できるだけ早く恐怖心を忘れ去ってしまいたいと望んでいるように見受けられる、とモロジャコフ氏は続けている。
また日本政府も、すべてはコントロール下にあることを繰り返し力説している。

 アニシモフ セルゲイ
 ソース ロシアの声
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日本政府の原発対応 ソ連政府よりも閉鎖的 「日本は官僚的過ぎる!」とロシアに言われた!

2011-04-26 07:50:16 | ロシア・地震予知情報
クルチャートフ研究所のエヴゲニー・ヴィリホフ・アカデミー会員は、雑誌「イトーギ」とのインタビューに応じ、日本政府の福島原発事故への対応は、ソ連政府のチェルノブイリ事故への対応よりもより閉鎖的である、との考えを示した。
 ヴィリホフ氏は、東京電力が民間企業であることから、おそらく日本政府も正確な情報をつかめていないだろう、と考えている。

*コメント*
ここでエヴゲニー氏が指摘しているソ連政府「共産党一党独裁時代」に注目。
すでにソ連は崩壊して現在はロシアである。
現・日本政府は、過去の旧ソ連政府よりも閉鎖的と言っているのである。
然るに、現政権「明治以来の政権も含まれる」は共産党政権以下である事。

 当然、政府・東電の記者会見などを見ていると素人集団「マスコミ含む」の問答であり恥ずかしいやら情けない限りである。 

 また世界でも有数の専門家であるウラジーミル・アスモロフ・クルチャートフ研究所所長が日本に派遣された際も、事故対応の責任者と直接話すことはできなかった。

 *先週にアスモロフ氏のコメントを紹介しています*

臨床心理学者で文化庁長官を務めた故河合隼雄氏は、その著書の中で日本社会の現状について、「(中心性を欠き、責任の所在があいまいな)日本…では、自らの決断を要する危機的状況においては、無責任体制の欠陥をさらす・・・日本人は明治以来それを繰り返してきている」と記していますが、残念ながら、現状はこの指摘の通りです。


ところで、日本の原子力行政の当局だけでなく、日本のマスコミ関係者も、またマスコミに連日コメントを寄せている専門家の多くも、わずか1ヶ月程前までは、様々な不安の声をよそに、「日本の原発では何重もの安全策を講じているので、大事故など起こりようがない」と断言し、地震学者の訴えさえ真面目にとりあっていなかったことは、多くの人の知るところです。
このことについて殆ど何の弁解も反省もなく、同じ人々が、今度は、「被曝は恐れるに足らないレベルである」と断言していますが、この問題ついても後に「想定外」だったということにはならないのでしょうか。

 実は、先例があります。
チェルノブイリの事故後、小児甲状腺ガンが増加傾向を示し始めたとき、広島・長崎の例を挙げて、日本の学者たちは、甲状腺ガンが増えるのはもっと先の話であるから、これは原発事故による被害ではないという見解をまとめ、現場の医者たちの訴えを否定していました。 
しかし、その後、異常な増加が誰の目にも否定しようがなくなった段階で、ようやくこの事実を認めるに至ったのです。 
そして、これ以外にも現場の医者は、様々な異常を訴えていますが、明確なデータがないことを理由に、日本の学者の多くは、今も小児甲状腺ガン以外の被害を認めていません。

旧ソ連の著名な物理学者で、ノーベル平和賞受賞者の故アンドレイ・サハロフ博士は、チェルノブイリ事故について次のように記しています―

「チェルノブイリにかかわることはすべて、その原因と結果とともに、あらいざらい公開されなければならない。それは完全に、事実を隠さず示されなくてはならない。人びとは、私たちや私たちの子孫の日常の生活と健康にこれほど直接的に影響を与える事柄について、自ら、自分自身に結びつけて考える能力をもたなくてはならない。またそうすることによって、国と地球の運命にかかわる重要な決定をおこなうことに参加しなければならない。」(訳「技術と人間」1990年1月より)

 福島第1原発から放出された放射能が世界中で見つかっている今、日本の人々には、この「チェルノブイリ」という言葉を「フクシマ」に置き換えて読んで欲しいと思います。 そして同時に、どういう形であれ「チェルノブイリ」について語る者は、「チェルノブイリ」がもたらした苦悩の日々について、個々の名前を持った沢山の人々の数字には表すことの出来ない苦しみと悲しみについて、自分自身の身に置き換えて考える想像力をもって欲しいと切に願います。  




露大統領 26日にチェルノブイリ訪問へ
ロシアのドミトリー・メドヴェージェフ大統領は26日、チェルノブイリ原発事故の現場を訪れる。
25日大統領は、「明日チェルノブイリを訪問し、事故処理に当たった方々を含めた人々と会合をもつ。」と述べた。

 大統領は、チェルノブイリ原発事故の処理に当たった人々を表彰する式典で、訪問の意向を明らかにした。

 ソース ロシアの声 

日本で地震予知学の発展を阻止した大きな原因が、今回の東京電力・福島原発事故で判明した。 
地震予知を行なうと原発では危険レベルと判断して原子炉の停止を余儀なくされる。 
当然、炉の停止から再開まで膨大な経費と時間が掛かる。
それを阻止したいと願う電力側が「地震予知は不可能」学会・官僚・研究者(反地震予知派を生育=反地震予知事業の資金提供)とアピールに務めた経緯が見える。 

 何回も申し上げますが、地震予知は可能です。 サハリンマン
 日本には、今回の事故でいかに「エセ学者・エセ報道マン・エセ官僚・エセ経営者」等々  これからが、高給をとりのうのうと生活している事が、とても許されない。
社会主義政権以下である。
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樺太時代の文化遺産 旧・北海道拓殖銀行 コルサコフ便り

2011-04-26 07:28:24 | 人・交流

 復元、美術館で与えられる後コルサコフの元日本銀行の建物コルサコフ 1982 年サハリン州の文化省の新しいプロジェクトのプレゼンテーションからは、モニュメントやサイトの国際デーを祝った。

 分岐、元日本銀行北海道拓殖銀行 Takusyoku」Korsakovskomu 歴史博物館の建物の転送港で最も古い建物は 1929 年 10 月、伊藤組」がこの日は太陽が昇るの土地で土建」、会社に建設されました。

 その 82 年古い、2 階建てのマンション、市の中心部で主のインテリアを維持している間にもかかわらず、7 つのサポートの列を含む豪華な成形品だけでなく、窓やドアを装飾されました。

 5 年後の困難な交渉の調整、最後にしましたこれは新古典様式のデザインにはユニークな建物は、地元の博物館に引き渡されます。
後者はすぐに地元の言い伝えのサハリン地域博物館の子会社になるし、元の博覧会のアップグレードされた壁の構築します。

 しかし、博物館のスタッフは 3 年間よりも早く開始します。今年はのみプロジェクト見積もりを準備する、ドキュメントとこのような場合に、restavriruemogo オブジェクトに必要な技術的専門知識に。

 2011 年には、5 万ルーブルに割り当てる準備ができてのサハリン地方の政府。
修復作業の合計価格がまだ呼び出されていない、すべてによって異なりますのでなど、評価の結果の質問に答える必要があります、サハリン sejsmousilenie の建物ので話題を必要とします。建物は、10 年以上前に、指定の遺産の関心は日本の専門家による表示の復元。

 樺太 7 つの専門家の島町、本州からの建築遺産の保全での昨年のシンポジウムで、コルサコフ建物されている調査を実行します。
最近サハリンに転送され、すぐに、ロシア語に翻訳があります。
文化省によると、このレポートは大幅に技術の専門知識を促進します。

 今日サハリンの建設会社ライセンスは修復作業を実施するが、島民は、本土からの専門家のサービスを保持する必要があるあります。
(それが) 将来の博物館の領土と近隣の日本サハリンと本土の他の都市からの観光客を誘致する Odomari チャンスが市内の歴史的中心部に位置しています。
 すでに、小さな野外博物館とモニュメント巡洋艦「ノビク」を作るというその考えを議論します。

 Во встрече сотрудников отдела охраны объектов культурного наследия министерства культуры области Елены Савельевой и Игоря Самарина, а также директора Корсаковского историко-краеведческого музея Светланы Левченко с журналистами приняла участие и один из лидеров корсаковского велоклуба "Юнона" Виктория Соколова. На днях это молодежное объединение выиграло грант областного агентства спорта, молодежной политики и туризма. Его проект "Сохраним историю вместе" поможет навести порядок сразу на нескольких районных объектах исторического наследия. Идею ребят, приглашающих присоединиться к ним веловолонтеров из Южно-Сахалинска и других населенных пунктов острова, активно поддержало региональное министерство культуры. 復元作業で将来の

 博物館の建物は、打ち上げは、主に地元当局は、若い選手のため、新しい場所を見つける必要があります順番に依存です。
 近年、かつての日本の銀行の建物のスポーツ学校、マスターが正常に準備空手スポーツは、今日まで、地域を越えて知られています。

アレクセイ ・ Guskov  ソース Sakh.com
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始まりました・国際フェステバル2011サハリン

2011-04-25 12:31:18 | 芸術


 23日から8月までのロングラン公演を目指してサハリン芸術フェステバルが開催されました。

新しい計画は、民俗芸術の地域の中心、振付師、学級の子どもたち、サハリンかなり注目です。
競争に到着した賞 33 チーム、島とユジノサハリンスク 11 の分野からの 450 以上の (!) ダンサーを競います。これは、島の民俗舞踊今日は、最も人気のある 1 つを再び確認。

 コンテストのグランプリ人気のダンス アンサンブル」エキゾチカ」「虹」の大衆文化の地域の整然としたセンターからだった。
見事 Topotuha plâsovuû ウラジーミル州を実行「Černomoročka」のダンス、クバン コサック兵希望 Gur′ânovoj Novoaleksandrovska の実際に残していない任意の語彙学生希望彼のライバル。

 まだ、終了のガラ ・ コンサート チェコ センターの中に大きな拍手ゲスト ハバロフスク gastrolirovavšij からこれらの日光栄サハリンに青少年ダンス アンサンブル「Gorenka」国民創造の集団引き裂いた。

 34 年の存在のこのアマチュアのクリエイティブ チームのリーダーシップの下で配偶者オルガとヴァレンティーナ Pahomovyh のロシアの多くの都市でのコンサートの旅しますが、海外では。ハンガリー、日本、韓国での自分の口座の凱旋公演。

 ダンス Gorenki」のメインの文化の発見 predolimpijskoj 週と北京になった。
いくつかの機会に彼のアート集団の表現やモスクワでは、デルフィ ゲーム 850 年記念日のお祝い。

 2007 年に Gorenka チャイコフ スキー ロシア連邦政府の賞の機会の「コンサート ホール「ロシア」ヴァレンティーナ Pahomovu の頭をされて魂の行動サハリン観客の拍手「ブラボー !」の叫びと、高レベルの若いダンサー (学生)、moiseevskogo アンサンブル ispolnivših の最高の伝統で炎症性のロシア人だけではなく、ハンガリー語、ウクライナ語、メキシコ、および他の踊り。

 ユジノサハリンスク ハバロフスクのフルの長さのプレゼンテーションに加えてもホルムスク Dolinske で開催されました。

アレクセイ ・ Guskov。ソース Sakh.com

 翻訳が少し怪しいですが簡便して下さい。 サハリンマン
ユジノサハリンスク市を訪れたら是非このフェステバルを覘いて下さい。
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選挙が終りました 北海道便り

2011-04-25 08:39:54 | 情報
 今年は全国的に選挙の春を迎えた年です。
地方知事から地方議員の選挙が終りました。

 昨日は地方町村長と議員の投票と開票が行なわれ本日より今後4年間に渡って行政を司る事になります。
    投票場 市内小学校

 しかし、選挙違反も多く全国の警察本部は、統一地方選後半戦の投票が終了する24日夜から、悪質な選挙違反事件の一斉摘発に乗り出す。

 警察庁のまとめによると、買収を中心に前回(2007年)並みの約70件の摘発を見込んでおり、約200人の取り調べを予定している。

 前半戦を含めた公職選挙法違反容疑での逮捕者は、22日現在で64人となり、前回同時期より47人減った。
後半戦は、東日本大震災の行方不明者の捜索などが続く岩手、福島両県の一部でも実施されるため、両県警は、都道府県警から応援派遣されている警察官も動員して投票所などの警戒に当たる。

 選挙カーでの音響には悩まされました。
これで静な日々を向かえそうです。

 写真 市会議員候補者の官製施設ポスター掲示板 この中から3人が落選しました。
 サハリンマン
 選挙カーで連呼しているのは、日本だけ・・・私の知っている外国では見かけない。
    
    昨日、東京都内で反原発デモが行なわれ5000人余りが参加しました。
    原発問題は、党派を超えた 右翼・左翼だの垣根を越えた 世界的な問題である。
    人類の最終責任は、現在で始末しょう・・・・。
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古都 冬物語 {氷下の釣り} アレクサンドロフスク・サハリンスキー

2011-04-25 07:21:18 | 季節
 サハリン州の古都 アレクサンドロフスク・サハリンスキー市では海岸での氷下の釣りが市民の手で行なわれています。
この釣りは、1880年代から続けられているものです。
 日本人らしき作業員の姿も見られます。

  魚の運搬は犬そりです。

 冬の風物詩としてサハリンの名物でもあります。

 ソース http://aleksandrovsk.tfd.ru/ 
サハリンマン
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鳥のように空を飛びたい 飛びました

2011-04-24 18:48:27 | 情報
 人間 空を飛びたい衝動に駆られる事は幼い時分に体験している。
飛んで、飛んで 何処までも 当然放射能「死の灰」の無い空をです。

 文明の利器 単独飛行に成功しました。
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残念・無念 戦場カメラマン ティム・ヘザリントン氏

2011-04-24 14:01:08 | 写真・映像
追悼 リビアで死亡した報道カメラマンの軌跡
報道カメラマンのティム・ヘザリントンさんが、リビアで戦闘に巻き込まれて死亡した。ヘザリントンさんの生前の作品を振り返ってみたい。

アカデミー賞にノミネートされたこともある報道カメラマンのティム・ヘザリントンさん(右)が4月20日、リビアのミスラタにて死亡した。
同氏の所属事務所が明らかにした。
写真は、CNNのカメラマンのフィリップ・リトルトンと共に2009年に撮影されたもの

ヘザリントンさんがアフガニスタン・ヘルマンド州の米海兵基地キャンプ・レザーネックにて撮影した写真。彼の写真はいつも非常に迫力のあるものだった


輸送機C130で移動する兵士。2009年9月に撮影された

アフガニスタンでアメリカ軍と村民との会話


ヘザリントンさんは2009年、アフガニスタンを取材したCNNのニュースアンカーであるアンダーソン・クーパーを撮影している。

 ヘザリントン氏は、写真家の他にドキュメンタリー映像作家でもあります。
近年の代表作は、映画「ミスター・アーサー」アフガニスタンをモチーフーにヒューマン・ドキュメンタリーに取り組んでいた。
2007年世界報道大賞受賞作「アフガニスタン前線で疲れ果てた米兵」
 破壊されたミスラタ市内

 サハリンマンも元報道カメラマンでありドキュメンタリー映像作家として活躍していた関係からあえて取り上げました。
 ヘザリントン氏のご冥福をお祈り申し上げます。 サハリンマン

 ソース CNN tokyo
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本日はハ゜スハ・復活大祭 です サハリン発

2011-04-24 08:46:09 | 学ぶ
 ロシア各地で開かれる復活大祭の催し

 ロシアでは24日、「パスハ(復活大祭)」を迎える。
ロシア人は今年、新たな記録に挑戦しながらパスハを祝う。
 モスクワの中心部には、氷でつくられた高さ約2メートルの卵の彫刻と、砂でつくられた高さ7メートルの焼き菓子「クリーチ」が登場する。
ロシア南部のロストフ州では、コテージチーズで作られたお菓子、その名も「パスハ」が振舞われる。
この「パスハ」の重さは500キロ。巨大な「パスハ」が作られた。

 キリストは、5つのパンで5000人の空腹を満たした。ロストフ州では今年、この奇跡の物語を皆で思い起こそうという。
しかし、振舞われるのはパンではなく、コテージチーズで作られた復活大祭を象徴するお菓子だ。
 お菓子の製作者たちは、その重さが500キロになることから、これを「パスハの王様」と名づけた。

 製作には丸一日が費やされ、お菓子職人7人が3交代制で製作した。
お菓子職人たちは、コテージチーズに干しブドウ、クルミ、シナモンを加え、円周4メートル以上の「パスハ」を作り上げた。
このお菓子は、24日まで冷蔵庫で保管され、パスハの日には、特別に作られた台に乗せられて、パスハの祈祷式が執り行われる場所へと運ばれる。

 パスハを記念した催し「キリストの復活祭」組織員会のナターリヤ・シマイロワさんは、「パスハの王様」は、大主教による清めの儀式を受けた後、5000個に分けられ、訪れた人たちに振舞われると伝えた。
組織者たちは「パスハの王様」を、ロシア記録ブックに登録しようと考え、すでに登録申請したという。

 パスハにちなんだ記録の樹立には、モスクワっ子たちも挑戦する。
ロシア氷の彫刻美術館では24日、食べることはできないものの、それは美しい卵の彫刻が披露される。
この彫刻美術館では、宝石加工職人カルル・ファベルジェのイースター・エッグ(復活祭の卵)をモチーフにした卵の氷の彫刻が展示される。
この氷の卵の重さは約2トン。 美術館広報部のエカテリーナ・シェンニコワ部長は、次のように語った。

-この卵のユニークな点は、大人も入ることができるほどの大きさに作られていることだ。子供も大人も卵の中に入ることができる。
ファベルジェは、卵にいろいろな仕掛けを施して、思いがけない喜びを贈った。

 それぞれの人間が、素晴らしい贈り物だ。彫刻の卵に入る人たちが、素晴らしい贈り物となるのだ。
なお、私たちが使用している氷は特別なものなので、今回は大規模な作業が行われた。
私たちは自らの工場で氷をつくっている。川の氷にはひびや気泡、木の枝などが入っているが、私たちが作る氷は非常にきれいだ。
私たちは特別に泉から水を汲んでくる。
それをろ過したあとで、透明のきれいな氷をつくるのだ。

 春の暖かさが、この氷で作られた奇跡の卵に害を及ぼすことはない。
美術館は常にマイナスの気温に保たれている。
しかし、訪問者は寒さを恐れることはない。
美術館では、訪れた人々の防寒対策として、フェルト製の長靴が提供されるという。

 さらにもう一つ、11年のパスハの日には、モスクワ中心部にある救世主キリスト大聖堂の近くで、パスハの焼き菓子「クリーチ」が砂で作られる。このクリーチの高さは7メートル。
ロストフ州のお菓子のように食べることはできないが、こちらもパスハを祝う思い出深い催しとなることだろう。

 それぞれの地域が挑戦する記録は様々だが、これら全ては、キリストの復活を祝う「パスハ」の重要性を強調するとういう目的で一致している。

 ソース ロシアの声
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古都の冬物語 「犬そり」 アレクサンドロフスク・サハリンスキー

2011-04-24 08:26:43 | 樺太犬・サハリン犬

 犬の記念碑


 サハリン「旧樺太」では、樺太犬の活躍が、歴史的観点からも大きく認知されています。 郵便・旅行者の送迎にも犬ソリは活躍していました。
特に古都 アレクサンドロフスク・サハリンスキーの冬場の輸送は、犬そりに頼っていました。

 人犬一体での行動は、厳冬の冬には命も失う事に繋がります。
近年、サハリンでは日本犬「特に秋田犬」が愛犬として飼われている傾向にあります。


サハリン北部ネクラソフカ村には、現在も犬ソリを使って作業をしている人がおります。 セルゲイ・リュービフさんです。
 この季節、セルゲイさんは結氷の間宮海峡を犬ソリで渡り新たな犬種を求めて大陸に行ってきます。その他 漁業者であるセルゲイさんは、魚の運搬に犬ソリを使います。

 サハリンマン ソース アレクサンドロフスク・サハリンスキー市 H・Phttp://aleksandrovsk.tfd.ru/




 この町は、文豪アントン・チェーホフも訪れ著書「サハリン島」でも取り上げられています。 http://aleksandrovsk.tfd.ru/
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