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サハリン州には。、ロシア人もウクライナ人も住んでいる混住地域です。

悲劇 チェルノブイリ原発事故 1986年 25年軌跡

2011-04-26 19:19:18 | 情報
 1986年4月26日 旧ソ連 現・ウクライナ共和国 キエフ市・チェルノブイリ地区
 
 事故の8年前 1978年

  原発が爆発する 当日の死者31名「消防士」。その後25年間で約3000人余りが被爆。
  多数が被爆の影響で亡くなっている。

  1991年
  放射線量を測定 翌5月2日には日本でも放射線量が確認され汚染恐怖になる。

  1987年

  1989年

  1999年   


  1990年

  1986年



  墓地では現在も救助隊員「150名」の埋葬が行なわれている。

  2011年4月16日19日20日


  2002年胎児の異変が見られている。専門医は被爆の影響と断定。

  写真・Photo.Union.Net

1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所で20世紀最大の技術災害が発生した。
チェルノブイリ原発の4号炉で爆発が発生、放射能汚染が数百万人の生活を変えた。
 同原発事故では、膨大な地域が放射能に汚染された。
最も大きな被害を受けたのは、現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシアの3カ国。

 溶解する原子炉で炎と闘った消防士や作業員は、事故発生から間もなくして放射線疾患により命を失い、彼らに続いて4000人以上の人々が亡くなった。
チェルノブイリでは、合わせておよそ60万人の人々が事故処理にあたった。
事故から25年が経過した現在も、チェルノブイリ原発から30キロ圏内では居住が禁止されている。

 放射能雲は、ソ連領だけでなく一連のヨーロッパ諸国にも広がった。事故の被害は、国境を越えたのだ。
物質的損失は膨大だが、失われた人命の比ではない。現在もこの事故の大きさは、人間の理解を超えているのだ。

 モスクワでは25日、チェルノブイリで事故処理にあたった人々への褒章の授与式が執り行われた。
ロシアのメドヴェージェフ大統領は、チェルノブイリの教訓は、これまでなかったほど切実なものになっていると述べ、次のように語った。

-最近起こった出来事は、後に安全保障に反映できる一連の問題について考える必要性を人類に思い起こさせた。
これは、日本の福島第1原子力発電所を巡る状況に関するものだ。
しかし同時に、前進への道を閉ざしてはならない。平和的原子力の使用は、最もコストが安く、全体として環境的に最も優しいエネルギーの一つである。

だが、この分野で用いられている基準は、最も高いものでなくてはならない。ロシアは現在、一連の教訓を得た。
原子力分野におけるロシアの基準は、一連の国家が使用する基準よりも本質的に高いものとなっている。

 専門家たちは、事故の根底には一般的に、人間が作り出した要素があることを認めている。
ロシアは最近、技術災害を未然に防ぐための国際センター設立に関する提案を発表した。この提案に対するこたえは、国際社会に委ねられた。

 ウクライナでは26日、チェルノブイリ原発事故から25年を迎えた追悼式典が執り行われている。
メドヴェージェフ大統領とウクライナのヤヌコビッチ大統領も出席する。現在ウクライナを訪問中のモスクワ及び全ルーシ総主教キリルも、事故処理によって命を落とした作業員たちの魂の永遠の安息を祈り、被災した大勢の人々の健康を願って祈祷した。

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チェルノブイリ事故 欧州で追悼集会 反原発訴え 毎日・産経新聞

2011-04-26 19:18:11 | ロシア・地震予知情報
 
 毎日新聞【ウィーン樋口直樹】
1986年に起きた史上最悪の旧ソ連チェルノブイリ原発事故から26日で25年。
被災国のウクライナや欧州各国では、犠牲者への追悼と反原発を訴える集会が実施、計画されている。

【チェルノブイリ原発は…】チェルノブイリ:30キロ圏今も居住禁止 事故から25年

 原子力の平和利用を推進する国際原子力機関(IAEA)のお膝元、オーストリア・ウィーンでは25日夜、大規模な反原発集会が開かれた。
東京電力福島第1原発事故で原発の安全性が問われる中、ファイマン首相も参加し、チェルノブイリ事故の被害者への連帯感を示し、「脱原発」推進を誓った。

 集会は環境保護団体が主催。
会場の寺院前に集まった約2000人を前に、ファイマン氏は「チェルノブイリ事故以降、(世界中で)160以上の原発が新設された。
原発推進の圧力団体は事故の記憶が忘れ去られるのを待っているが、我々は決して忘れてはならない」と力説した。

 オーストリアは78年に国民投票で原発の運転を否決し、原子力禁止法を設けるなど、国を挙げて反原発を主導してきた。
ただ、原発発電分を含む電力を周辺国から輸入しており、集会主催者のカステンホーファー代表は毎日新聞に「エネルギー効率の高度化や再生可能エネルギーの開発が重要だ」と語った。

 集会ではウィーンの音楽大学で学ぶ日本人留学生が演奏を披露。
安達真理さん(26)は「私たちが原子力エネルギーに依存し、便利な生活を送ってきたのも事実。
福島の事故が世界で原子力を真剣に見直すきっかけになってほしい」と話した。

 一方、ロシアのメドベージェフ大統領は26日、ウクライナのヤヌコビッチ大統領らとチェルノブイリ原発を訪問する予定。
今も見通しが立っていない原子炉解体に向けた方策などについて協議するとみられる。

 産経新聞【モスクワ=佐藤貴生】世界の原子力発電史上、最悪の惨事となった旧ソ連(現ウクライナ)チェルノブイリ原子力発電所の事故は26日、発生から25年を迎えた。
ウクライナの首都キエフの教会では、事故が起きた午前1時23分(日本時間同6時23分)、事故処理に当たった生存者の1人が25回にわたり鐘を鳴らして、犠牲者を追悼した。

 インタファクス通信によると、教会ではこれに先立ってロシア正教のキリル総主教が祈りをささげた。
総主教は「世界は、平和な時代に襲ったこの事故に比較しうる惨事を経験したことがなかった」と述べた上で、「他人に生命を与えるという最も崇高な神への贈り物をした」と事故処理に当たった人々を改めて悼んだ。アザロフ首相ら約700人も教会で犠牲者の冥福を祈った。

 モスクワのラジオ局エホ・モスクブイによると、ロシア西部の飛び地カリーニングラードや、ウクライナ西部の都市リビウではこの日、事故犠牲者の新たな追悼碑が公開される。

 ベラルーシでも追悼式典が営まれるほか、各地で「チェルノブイリの教訓」をテーマとする学術会議などが開かれる予定だ。
東京電力福島第1原発事故が発生したこともあり、チェルノブイリ原発事故への関心が再び高まっている。

 ロシアのメドベージェフ大統領はこの日、ウクライナのヤヌコビッチ大統領と現地を訪れて犠牲者に哀悼の意をささげる。
キエフで行う首脳会談では福島第1原発の事故を踏まえ、原発の安全性確保などについて議論する見通しだ。
また、旧ソ連を構成した独立国家共同体(CIS)の首脳もウクライナを訪れる予定。

 事故はチェルノブイリ原発4号機での実験中に発生。
安定化に向けた努力は今も続けられ、現場から半径30キロ圏内は一般の立ち入りが禁止されている。

 国連機関は放射能による死者は将来も含めて4千人と推計している。
 
 過去に4000人余の人類が放射能の被爆で亡くなっている事実。

 国家は、絶対事実の公開は世界に公開しないであろう。
その原点は、既得権益等を守りたい一心である。
権力者の特権として捉えられるがそれは大きな間違いである。
 ルーマーニア・チェシスカ大統領様に、秘密警察を雇うと結果は、即・死刑の運命も存在しいる。

■生々しい機密文書

 1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故以前にソ連の同型原発で100件を超す事故が起きていたにもかかわらず電力供給が優先され、安全点検が置き去りにされていた実態が、旧ソ連機密文書で明らかになった。
チェルノブイリ原発ではすでに82年に類似事故が起きていたが、電力エネルギー省は「同型の原発が危険なことは知っていたが、文書には残さなかった」と重大事故の前兆を隠していた。(肩書はいずれも当時)

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原発の危機隠蔽にゴルバチョフ氏憤り …
チェルノブイリから25年 キエフで「…
記事本文の続き 機密文書はソ連最高指導者ゴルバチョフ氏(80)と各国首脳の会談、政治局会議などの内容を記録したもので、保存先のゴルバチョフ財団から複写して英国に持ち込んだロシア人学生パベル・ストロイロフ氏から産経新聞が入手した。

 ストロイロフ氏によると、チェルノブイリ事故関連では事故2日後の4月28日から7月3日にかけての7日分が残されている。

 7月3日に開かれた政治局会議では、原子力を監督する中型機械製作省、電力エネルギー省、クルチャトフ研究所幹部らを呼びつけてゴルバチョフ氏や政治局員が問いつめる様子が生々しく記録されている。

 ■検証より電力供給

 冒頭、ゴルバチョフ氏が「チェルノブイリと同じ黒鉛減速軽水冷却沸騰水型で104件の事故が起きているが一切、検証されてこなかった」と切り出すと、電力エネルギー省幹部は「安全装置が1つしかなく、だれもが構造に欠陥があると思っていた」と述べ、同型のレニングラード(現サンクトペテルブルク)、スモレンスク、クルスクの3原発の閉鎖を進言した。  泣かされるのは、いつの時代も国民である。

 政治局員の1人が「安全でないと知っていたのか」と詰問すると、この幹部は「科学アカデミーと中型機械製作省から2000年までに原子力の発電量をコンスタントに増やすよう求められていた」と弁解した。

 電力エネルギー相は「1975年にレニングラード原発で類似事故があり、82年にはチェルノブイリ原発で放射能漏れには至らなかったが、同様の事故がすでに起きていた」と報告。
その上で「国際原子力機関(IAEA)への虚偽報告を続けるべきか」と指導部の指示を仰いでいる。

 ■戦争に匹敵する事故

 グロムイコ最高会議幹部会議長は「今回の事故は住民にとって中規模戦争に匹敵する」と危機感を示し、ゴルバチョフ氏は「私たちは30年間、専門家や大臣から原発は安全だと聞かされてきた。
しかし、原発はごますりとへつらい、セクト主義と批判者への迫害に取り囲まれていた」と憤り、同型の原発がある東欧への情報公開を指示していた。

 ゴルバチョフ氏は10月、同型の原発15基の廃止を発表したが、レニングラード、スモレンスク、クルスクの3原発は改良され、現在も運転されている。

 (ロンドン 木村正人/SANKEI EX PRESS)

       ◇

 ■チェルノブイリ原発事故 旧ソ連ウクライナ共和国のチェルノブイリ原発4号機で事故が起きたのは、1986年4月26日午前1時23分。
実験中に出力が急上昇して暴走、原子炉と建屋が爆発して火災が起き、放射性ヨウ素131やセシウム137、ストロンチウム90など大量の核分裂生成物が欧州などに飛散した。
消火作業などに当たった31人が死亡、約200人が急性放射線障害で入院した。
ソ連は27日以降、半径30キロ圏内の住民13万5000人を避難させたが、ゴルバチョフ政権が国際的に事故発生を認めたのは28日だった。
7カ月後、4号機をコンクリートで覆う「石棺」が完成したが、老朽化で内部の放射性物質の漏出が続いている。
 
 歴史は正しい事を証明している。
 東京電力の福島原発事故は、地震・津波の影響はあるが、「予期しない」との言い訳は認めない。
これは、人災である。 東京電力は全てを吐き出「資産処理」して刑事・民事罰を受ける。 
 国民は電力の利用を最小限にとどめ新たなエネルギーに取り組む段取りを行動に移す時期と考慮する。 
  サハリンマン
 


 
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新装映画館 開館しました ユジノサハリンスク市便り

2011-04-26 13:52:47 | 動画
 サハリンの人々も映画を見る眼は大変に肥えています。
この傾向は、全てのロシア国民にも通じるものと言えます。

 ユジノサハリンスク市内に新たな映画館がオープンしました。
座席数も77席と少ないですが、観客にの環境は「GOO」です。
3Dも堪能できて音響も近代的なシステムを設備しています。

 小さい映画館ですが、上映中は集中できるので映画を楽しく見れると考えます。
日本では、マイカル映画館的なシステムと思われます。

 サハリンを訪れたら一度訪ねたら好いと考えます。 サハリンマン

 ソース Sakh.com
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東京では気にされない福島での状況

2011-04-26 08:01:29 | ロシア・地震予知情報
日本での大地震のあとの福島第一原子力発電所の状況について、世界の専門家らは状況の悪化が進んでいると見ている。
結局、冷却システムの復旧はできないままとなっており、解決できていない問題は山積みとなっている。
 その一方で、日本での生活は日常のペースにもどりつつあり、恐怖を忘れてしまいたいという思いが強くなっている。

 専門家らは、福島第一原発の周りの放射線量について、すでに先週の時点で、基準の1万倍のレベルを観測しているほか、発電所の隣の海域では、すでに基準の4500倍の放射性ヨードの含有率が記録されている。また土壌のなかには、放射性プルトニウムも発見された。

 さらにもうひとつの問題となっているのが、放射性の灰、ちりの問題だ。風によって、放射能汚染された砂や他の物質が空に舞い上がり、周辺に撒き散らしてしまうことが指摘されている。
理論的には、液状の合成樹脂を撒く方法が考えられている。
発電所の上から特殊繊維からなったカバーを掛けることで、表面化した放射能とその汚染物質の拡散を和らげることができる。
しかしそのような対策がいつとられるのかについては、いまだ明らかとはなっていない。まずは、原子炉を冷却することが急務となっているからだ。

 事故現場でいったい何がおこっているのかについては、対策にあたっている現場の人にしか分からないものだ。
報道関係者に対して、東京電力福島原発の現場担当者と東京事務所との間のメールのやり取りが明らかとなった。

 また原子力発電所の現場作業員のほとんどが地元住民であり、その人たちとその家族は地震および津波の被害を受け、多くの人は家を失っている。

 明らかになったメールのひとつでは、次のように書かれている。

「沿岸部に位置する実家は、津波が襲い、いまでも両親がどこにいるのか分からないままです。しかし避難体制が敷かれているため、家に近づくことはできません。
そのような心理状態のもと、非常に大変な作業をしなくてはなりません。
しかし東京電力の社員として、自らの職務を全うすることに務め、地震被害者としての心配はその後のこととなるでしょう。」

 一方で福島第一原発から半径20キロ圏内の住民たちは、日本でも村八分の状態となっている。
病院での診察をうけるのにも、放射能被爆がないことを証明する書類が必要とされている。
また放射能被爆への恐れから、地元行政府は原発周辺の地震、津波犠牲者の遺体を運び出すことをためらっている。
遺体を火葬にすれば放射能物質が大気中に舞い上がるおそれがある一方で、土葬にすれば土壌が汚染される危険性がある。
国際原子力機関(IAEA)は、放射線量の増加から、避難地域を半径40キロ以内に拡大するよう求めている。

 しかしそこから南へ240キロはなれた日本の首都東京では、まったく違う生活が行われている。
たしかに電気の節約のため、無駄な照明やネオンが消され、すこし暗くはなったものの、ショックからは立ち直っていると、ロシア東洋学研究所の主任研究員で、現在拓殖大学で務めるワシリー・モロジャコフ氏は「ロシアの声」とのインタビューのなかで話している。

―日本政府は東京の住民をはじめ、すべての国民に対して、電気の節約を呼びかけている。
たしかに夜外にでると、すこし暗くなったと感じますが、それは何か怖いことを呼び起こすようなものではない。
無駄な電気が消されただけで、何か生活が変わったということではない。東京ではなんの懸念もされてはいない。それに日本人は非常に意識の高い人々だ。もしも国民一人一人が1つか2つの照明器具を消せば、実際に大きな節電効果を生むからだ。

 人々は単に、できるだけ早く恐怖心を忘れ去ってしまいたいと望んでいるように見受けられる、とモロジャコフ氏は続けている。
また日本政府も、すべてはコントロール下にあることを繰り返し力説している。

 アニシモフ セルゲイ
 ソース ロシアの声
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日本政府の原発対応 ソ連政府よりも閉鎖的 「日本は官僚的過ぎる!」とロシアに言われた!

2011-04-26 07:50:16 | ロシア・地震予知情報
クルチャートフ研究所のエヴゲニー・ヴィリホフ・アカデミー会員は、雑誌「イトーギ」とのインタビューに応じ、日本政府の福島原発事故への対応は、ソ連政府のチェルノブイリ事故への対応よりもより閉鎖的である、との考えを示した。
 ヴィリホフ氏は、東京電力が民間企業であることから、おそらく日本政府も正確な情報をつかめていないだろう、と考えている。

*コメント*
ここでエヴゲニー氏が指摘しているソ連政府「共産党一党独裁時代」に注目。
すでにソ連は崩壊して現在はロシアである。
現・日本政府は、過去の旧ソ連政府よりも閉鎖的と言っているのである。
然るに、現政権「明治以来の政権も含まれる」は共産党政権以下である事。

 当然、政府・東電の記者会見などを見ていると素人集団「マスコミ含む」の問答であり恥ずかしいやら情けない限りである。 

 また世界でも有数の専門家であるウラジーミル・アスモロフ・クルチャートフ研究所所長が日本に派遣された際も、事故対応の責任者と直接話すことはできなかった。

 *先週にアスモロフ氏のコメントを紹介しています*

臨床心理学者で文化庁長官を務めた故河合隼雄氏は、その著書の中で日本社会の現状について、「(中心性を欠き、責任の所在があいまいな)日本…では、自らの決断を要する危機的状況においては、無責任体制の欠陥をさらす・・・日本人は明治以来それを繰り返してきている」と記していますが、残念ながら、現状はこの指摘の通りです。


ところで、日本の原子力行政の当局だけでなく、日本のマスコミ関係者も、またマスコミに連日コメントを寄せている専門家の多くも、わずか1ヶ月程前までは、様々な不安の声をよそに、「日本の原発では何重もの安全策を講じているので、大事故など起こりようがない」と断言し、地震学者の訴えさえ真面目にとりあっていなかったことは、多くの人の知るところです。
このことについて殆ど何の弁解も反省もなく、同じ人々が、今度は、「被曝は恐れるに足らないレベルである」と断言していますが、この問題ついても後に「想定外」だったということにはならないのでしょうか。

 実は、先例があります。
チェルノブイリの事故後、小児甲状腺ガンが増加傾向を示し始めたとき、広島・長崎の例を挙げて、日本の学者たちは、甲状腺ガンが増えるのはもっと先の話であるから、これは原発事故による被害ではないという見解をまとめ、現場の医者たちの訴えを否定していました。 
しかし、その後、異常な増加が誰の目にも否定しようがなくなった段階で、ようやくこの事実を認めるに至ったのです。 
そして、これ以外にも現場の医者は、様々な異常を訴えていますが、明確なデータがないことを理由に、日本の学者の多くは、今も小児甲状腺ガン以外の被害を認めていません。

旧ソ連の著名な物理学者で、ノーベル平和賞受賞者の故アンドレイ・サハロフ博士は、チェルノブイリ事故について次のように記しています―

「チェルノブイリにかかわることはすべて、その原因と結果とともに、あらいざらい公開されなければならない。それは完全に、事実を隠さず示されなくてはならない。人びとは、私たちや私たちの子孫の日常の生活と健康にこれほど直接的に影響を与える事柄について、自ら、自分自身に結びつけて考える能力をもたなくてはならない。またそうすることによって、国と地球の運命にかかわる重要な決定をおこなうことに参加しなければならない。」(訳「技術と人間」1990年1月より)

 福島第1原発から放出された放射能が世界中で見つかっている今、日本の人々には、この「チェルノブイリ」という言葉を「フクシマ」に置き換えて読んで欲しいと思います。 そして同時に、どういう形であれ「チェルノブイリ」について語る者は、「チェルノブイリ」がもたらした苦悩の日々について、個々の名前を持った沢山の人々の数字には表すことの出来ない苦しみと悲しみについて、自分自身の身に置き換えて考える想像力をもって欲しいと切に願います。  




露大統領 26日にチェルノブイリ訪問へ
ロシアのドミトリー・メドヴェージェフ大統領は26日、チェルノブイリ原発事故の現場を訪れる。
25日大統領は、「明日チェルノブイリを訪問し、事故処理に当たった方々を含めた人々と会合をもつ。」と述べた。

 大統領は、チェルノブイリ原発事故の処理に当たった人々を表彰する式典で、訪問の意向を明らかにした。

 ソース ロシアの声 

日本で地震予知学の発展を阻止した大きな原因が、今回の東京電力・福島原発事故で判明した。 
地震予知を行なうと原発では危険レベルと判断して原子炉の停止を余儀なくされる。 
当然、炉の停止から再開まで膨大な経費と時間が掛かる。
それを阻止したいと願う電力側が「地震予知は不可能」学会・官僚・研究者(反地震予知派を生育=反地震予知事業の資金提供)とアピールに務めた経緯が見える。 

 何回も申し上げますが、地震予知は可能です。 サハリンマン
 日本には、今回の事故でいかに「エセ学者・エセ報道マン・エセ官僚・エセ経営者」等々  これからが、高給をとりのうのうと生活している事が、とても許されない。
社会主義政権以下である。
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樺太時代の文化遺産 旧・北海道拓殖銀行 コルサコフ便り

2011-04-26 07:28:24 | 人・交流

 復元、美術館で与えられる後コルサコフの元日本銀行の建物コルサコフ 1982 年サハリン州の文化省の新しいプロジェクトのプレゼンテーションからは、モニュメントやサイトの国際デーを祝った。

 分岐、元日本銀行北海道拓殖銀行 Takusyoku」Korsakovskomu 歴史博物館の建物の転送港で最も古い建物は 1929 年 10 月、伊藤組」がこの日は太陽が昇るの土地で土建」、会社に建設されました。

 その 82 年古い、2 階建てのマンション、市の中心部で主のインテリアを維持している間にもかかわらず、7 つのサポートの列を含む豪華な成形品だけでなく、窓やドアを装飾されました。

 5 年後の困難な交渉の調整、最後にしましたこれは新古典様式のデザインにはユニークな建物は、地元の博物館に引き渡されます。
後者はすぐに地元の言い伝えのサハリン地域博物館の子会社になるし、元の博覧会のアップグレードされた壁の構築します。

 しかし、博物館のスタッフは 3 年間よりも早く開始します。今年はのみプロジェクト見積もりを準備する、ドキュメントとこのような場合に、restavriruemogo オブジェクトに必要な技術的専門知識に。

 2011 年には、5 万ルーブルに割り当てる準備ができてのサハリン地方の政府。
修復作業の合計価格がまだ呼び出されていない、すべてによって異なりますのでなど、評価の結果の質問に答える必要があります、サハリン sejsmousilenie の建物ので話題を必要とします。建物は、10 年以上前に、指定の遺産の関心は日本の専門家による表示の復元。

 樺太 7 つの専門家の島町、本州からの建築遺産の保全での昨年のシンポジウムで、コルサコフ建物されている調査を実行します。
最近サハリンに転送され、すぐに、ロシア語に翻訳があります。
文化省によると、このレポートは大幅に技術の専門知識を促進します。

 今日サハリンの建設会社ライセンスは修復作業を実施するが、島民は、本土からの専門家のサービスを保持する必要があるあります。
(それが) 将来の博物館の領土と近隣の日本サハリンと本土の他の都市からの観光客を誘致する Odomari チャンスが市内の歴史的中心部に位置しています。
 すでに、小さな野外博物館とモニュメント巡洋艦「ノビク」を作るというその考えを議論します。

 Во встрече сотрудников отдела охраны объектов культурного наследия министерства культуры области Елены Савельевой и Игоря Самарина, а также директора Корсаковского историко-краеведческого музея Светланы Левченко с журналистами приняла участие и один из лидеров корсаковского велоклуба "Юнона" Виктория Соколова. На днях это молодежное объединение выиграло грант областного агентства спорта, молодежной политики и туризма. Его проект "Сохраним историю вместе" поможет навести порядок сразу на нескольких районных объектах исторического наследия. Идею ребят, приглашающих присоединиться к ним веловолонтеров из Южно-Сахалинска и других населенных пунктов острова, активно поддержало региональное министерство культуры. 復元作業で将来の

 博物館の建物は、打ち上げは、主に地元当局は、若い選手のため、新しい場所を見つける必要があります順番に依存です。
 近年、かつての日本の銀行の建物のスポーツ学校、マスターが正常に準備空手スポーツは、今日まで、地域を越えて知られています。

アレクセイ ・ Guskov  ソース Sakh.com
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