脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

「一億総 腐れ縁 社会」を超えて。

2015年10月10日 19時48分45秒 | 雑談
例年のことだが、夏が終わり9月になると百均ショップでは来年のカレ
ンダーが並ぶ。10月ともなれば、チェーン・スーパーでは年賀状印刷や
おせち料理の受付が始まる。郵便局で、年賀印刷のチラシを貰ったら
9/1受付開始だった。

9月に入ったら、もう来年の行事が商機になるというのは、何だか無粋
で世知辛い。忙しなく人の背を押す世の流れは、年々強度を増している。
流れが先取られ、人々は「型」に嵌められてしまっている。それでは
「流れ」ではない。形式化の中に無難に先取って収めてしまうから、風
情が消え、無粋になるのだ。

季節が移ろうより先に、「型」がやって来て嵌め込まれて、形式ばかり
の言葉や風景の中を誰もが一様に流されていく。一億総ベルトコンベア
社会である。それでもまだ、ベルトコンベアに乗れて、運ばれているヒ
トは、社会にコミットしているだけ落ちこぼれてなく、ましな方なのか
しれない。

今日、非正規社員は2000万人、就業人口の4割に相当する。3人に1人
以上の割合でフリーターなのである。また近年、中年フリーター、35~
54歳の非正規労働者(女性は既婚を除く)が増加中だそうだ。階層固定化
が進んでいるのだろう。

では、55歳以上のフリーターというのは、労働問題上では、どういう
位置づけになるのだろうか? この年齢層の労働現実とはどうなのか。
若年フリーターには支援の手が差し伸べられるが、初老フリーターとも
なると、世間の関心はかなり冷淡な気がする。

政権は「新3本の矢」を放つという。「希望・夢・安心」を冠した経済
・子育て・社会保障政策だというが、よくも虹色幻想を大風呂敷に拡げ
るものである。実よりもイメージ先行の、当節風政治戦略なのかしれな
いが、様々な問題(財政・原発・米軍基地等)で現実とつじつまが合わな
い分だけ、政治は年々巧妙に詐術を進化させている気がする。

統治とは、政権が国民との間に被支配の腐れ縁を作ることであるのか。
国民にばかり総活躍と言わず、まあ「総活躍内閣」ということで、何本
の矢でも鉄砲でも撃って、頑張って下さい。
私はいち国民としては、政治への諦めと不安・不信を抱えつつ、民主と
自由、個人としての尊厳のある生活を目指しますから。


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