脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

思惟の十字路。

2014年01月05日 11時57分12秒 | コギト
今年の正月は暖かい。気候が年明けらしくない。毎年正月になると、つ
いデジカメ持って町を自転車でふらつく。正月らしい風景を撮りたいと
思うのだが、町中何処にも「正月」の風景が見当たらない。風物として
の「正月」が消え失せ、それはTVの中にしかないモノかのようだ。

現代のとりわけ都市部においては、正月は既に虚構なのだろう。「年末」
だって年の瀬の実感はどこか乏しい。逆に、クリスマスは年々派手に街
が装飾され、日本のクリスマス文化は風物の強度を増しているが。おし
なべて、伝統行事や文化全般が上っ面な表皮だけになりつつある。

正月が虚構化していると言えば、「初詣」だって最初から虚構だろう。
普段から神社に詣でている習慣もない大勢のヒトビトが、年頭だけ「初
詣」をする。年に一回しか詣でないのに「初詣」もないものだ。そもそ
も信仰もないのに「初詣」だけしている訳だが、これも正月の虚構だ。

文化とは人間の Way of Life のかたちのことだと思うが、中身を度外
視した表面の「かたち」だけを装飾過剰に模倣反復する Way こそが、
現代文化の本質なのだ。観ように拠っては、我々は、営々と紡がれてき
た過去の人間文化のパロディをやっているだけだ。

数さえ備えれば、ホンモノがニセモノに負けることはある。それはいつ
の時代でも、そうだったろう。今は誰もホンモノであることの真正性な
ぞには、余り有難味を感じない時代なのだ。ニセモノであってもホンモ
ノのように振舞えて世間が通る間だけは、ニセも許されてしまう、ニセ
でも何等かの実が得られてしまう時代なのだろうと思う。

TVが正月幻想を煽るのも、アベノミクスが景気幻想をマネーサプライ
で煽るのも、人間社会の本質においては同じことだ。膨らんだ幻想のア
ブクをうまく破裂させないように舵取りが出来るか、サル回しは上手に、
サルを操らねば芸人でない。

寧ろ我々は、サルの振りをした芸人であるべきだろう。本物と贋物とが
せめぎ合うのが世間の十字路であり、誰もがそこを横切って向こうへ渡
らねばならないのだから。







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2 コメント

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遅れましたが・・・ (とちの木)
2014-01-07 06:39:36
あけましておめでとうございます。

虚構の正月も、あっという間に終わりですね。
私は熱で臥せっていただけの正月でした。。。
寂しい・・・

いつだったか「初詣」に対抗して、「詣納」をしようかなと思ったのですが、意味ないのでやめました!
でもどうやら私は今年、厄年のようなのですが・・・
厄年・・・あまり信じてない・・・けど怖い・・・
ま、気を付けて過ごせば大丈夫でしょう???

では、こんな感じで今年もよろしくお願いします。
返信する
こちらこそ、どうぞ宜しく‥。 (Rondo)
2014-01-07 10:08:39
とちの木 さん。

年末・年始の言葉で、気になるのは、「今年もあと3日」みたいな言い方の、「も」です。「は」なら判るけど、「も」って、毎年当たり前にそうですね。「今年も冬ですね。」と言っても同じことで、そんなことは毎年そうなるのです。

そんなことを考えていたら、答えが分りました。
「今年も(残すところ)あと3日」は、「今年はもうあと3日」の言い方の「はもう」が短縮されて「も」だけが残ったの
でしょう、多分。強調用法の一種なのです。

歳末の別れ言葉っていうか、「よいお年を!」というのがありますが、正月にはそうは言いませんね。正月に今年はよい年であるようにと、そう言ってもいいのですが。年賀状には、「良いお年でありますように」とか書いてあったりするのです。

私はアスペルガー傾向があるので、ついついこだわってしまいます。子供の頃は、コレでたくさん失敗しましたが、今になると、飽きずに物事を突き詰めて考えられる資質になっている気がします。

ああ、多弁を弄していて済みません。てなわけで、今年もどうぞ宜しくお付き合い下さい。風邪、ご自愛下さい。
(Rondo)
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