脳辺雑記帖 (Nohhen-zahts)

脳病と心筋梗塞を患っての独り暮し、Rondo-Nth の生活・世相雑記。気まぐれ更新ですが、気長にお付合い下さい。

歳末、本を売りに行った。

2009年12月26日 17時48分29秒 | コギト
年の瀬に自転車で町を巡れば、空き駐車場での布団類の販売やら、個人
のお宅が、不用品販売を自宅前でしている光景には二度出くわした。
のどかな風景というものでもなく、不況の北風を感じてしまう。

昨年末に我が家の不用品整理をしたまま、放置してある文庫本が80冊程
あったのを思い出し、全て、結婚して家を出た弟の蔵書だが、本人から
処分しておいて欲しいといわれ、古本屋に持っていけそうな本ばかりを
取って置いたものである。

一度、ブックオフに持ち込んでみたいと思っていたので、紙袋一杯の本
を近所の店舗に持参した。本は全て文庫、星新一・渡辺淳一・山本周五
郎・夢枕漠・阿刀田高などである。40冊を引き取ってくれて、550円だ
った。店員さんは、星新一がたまたま在庫薄だったとかで少し評価を高
くしたとか言っていた。

次に、残りの文庫本を持って、すぐそばの古本屋に持ち込んでみた。
20数冊引き取ってくれて600円になった。
この古本屋さんの店主と以前話していたら「渡辺淳一」は全く売れない
のでタダでも要らないと言ってたが、ブックオフでは「渡辺淳一」を
全部引き取ってくれた。古本屋では『麻雀放浪記』を評価していた。

この二軒の本屋は200メートルしか離れていないのだが、訪れる客層が
大分異なるのであろう。本を売りに行く本屋の順序を逆にした方が儲か
ったような気もしたが、紙袋一杯の文庫本で1,150円なら悪くない。
引き取れないと返された本は、周五郎の『ちいさこべ』だけ抜き取って
タダで古本屋にあげてきた。

山本周五郎も7、8冊あったはずだが、どうして『ちいさこべ』だけ
ブックオフも古本屋もはねたのだろうか? 
汚れや破れ、日焼け書込み等何もないのに、不思議なものである。

私は、自分の不要本を読みたい人にあげることは好きな方である。
が、売るとなると、いつもやましいもの、まるで自分の血を売るような
肌身を切る痛々しさを感じる。
ゴミとして捨てるのは、尚更良心が咎める。本を売るという行為を、
「不用品の処分」で、どうしても心底から割り切ることが出来ない。


私の人生の楽しみは、読書と音楽・芸術、静寂と煙草、散歩と青空、
そんなものでほぼ全てである。(近年、武術が加わったが。) 
これら以外の、過剰なモノは欲望に類する代物である。
私の個人消費は、日本経済の内需に役立たないものばかりである。

いや、しかし今日、私のような人間が増えているのであろうか?

おカネをどう使うかの可処分所得よりも、自分の時間をどう使うか
の、可処分時間、しかもおカネをあまりかけないで過ごす「自分時間」
をかけがえの無い大切さで生きているような、そんな人間である。

我々は今まで、例えば「親子時間」を生き、「学校時間」を生き、
「会社時間」を生き、結婚しては「家庭時間」を生きしてきたが、
ネット社会の現在、常にこれらと平行して「自分時間」とばかり
繋がっているようになっているということではなかろうか。

私の場合は、ネットの無い昔から「自分時間」にしか価値観のない
アスペルガー人間だけど、社会全体がアスペっぽくなってきたなぁ
と思う。今日増えているのは、「空気が読めない」のではなく、
「空気」なんて読みたくないというアスペなヒトビトなのである。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。