最近、花粉症の薬を飲み始めたが、いつものことだが、
昼間ひどく眠たくて、気分も塞ぎ気味で全体に冴えない。
スーパーで買い物をして一万円をレジで出したら、小銭だけ受け取って
帰ろうとしたり、自転車の鍵の掛け忘れ、手袋は片方だけ落として失く
すし、ある寸法を測ったメモを持ってホームセンターに行きアクリル板
を買うつもりだったが、肝心のメモを部屋に忘れて二度足だった等々。
全体に注意欠陥状態のようである。この傾向は花粉症の薬を飲む以前か
らあったのだが、それが強まった感じである。抗精神病薬を十年以上も
服用した服作用が加齢とも併せて、頭を小ボケ状態にするのだろうか。
何の話題もないが、ネットで無料の手相占いをしてみたら、
私の性格は、のんびりした大らかな気質だが、耐性が弱いと出た。
愛に恵まれ運気は良い方らしい。
但し、若い時分に挫折体験があると屈折した性格が表面に出易くなり、
戦闘的な雰囲気を出し過ぎると、周囲から警戒されて辛い人生になる
から、本来の自分を出すと人にも恵まれ仕事もうまくいく、のだそう
である。
上記のようなメッセージは誰を相手に発しても当てはまり易いように
思える。これを「当たってる! この占いはスゴイ」などと感心する
ような素朴なヒトビトだけが「有料サイト」にさらに誘導されていく
のだろう。
私の手相は、感情線・頭脳線・生命線ともに長い方である。但しどれ
もが先細り、先薄れとか先割れしている。結婚線は小指の半分程度、
財産線においてはそれらしき線が見当たらないという風である。
手相は「相」なので変化するものである。江戸時代の観相学者・水野
南北によれば運勢を変えるには、「食」の在り方を変えるが良いのだ
そうだが、「食」の話は措くとして、手のひらの線だけでは占いとし
ても粗雑に過ぎるはずである。
南北は「手は身体から出た枝である」という。手相占いは枝振りから
木を判断している段階に過ぎないのである。
「人の相を見る時は第一にその人の日常の立居ふるまいを通してその
全体像を見る。その後に気力の強弱をみ、次に忠孝の志の有無や
陰徳の志の有無、そして心の動きぐあいをみ、次にその人のする
ことの首尾がうまく行っているかどうかをみ、またその人の見聞き
することや言動を観察する。
その後に骨格、血色、流年(年齢)の状態をみてすべての善悪を判断
するように心がけるべきである。」
(『現代訳 南北相法』岩崎春雄訳・自然社から引用。)
南北相法では、感情線・頭脳線・生命線とは言わず、天紋・人紋・地紋
と呼ぶようだが、手の風情や開き方、指の長さのバランス等、手のひら
の線よりも手全体を捉えて判断しているようである。だが本書で著述さ
れている大部分は顔、面相について詳しく説かれている。
ネットの手相占いに対して、たまたま南北相法を引き合いに出したまで
で、私がこれを信じて勧めているわけではないので、ご注意願います。
私は世に言う「占い」などというものは、ほとんど信じておりません。
(水野南北だけは、少し興味を持って本を一冊だけ持っています。)
ここまで記して、ハテ?、何の話をしていたのか忘れてしまい、画面を
スクロールして‥‥、あぁ、注意欠陥症かぁ、、、
タイトルも、最初の書出しも完全に忘れてました。
さて、この話の落とし処、落とし処、まとめ、まとめ、わっと、、。
ADHD(注意欠陥多動症)というのがありますが、
私の場合は、注意欠陥と、体の多動ではなく、心の多動症のようです。
座禅でも組んで、せいぜい気を落ち着けるよう心掛けましょう。
昼間ひどく眠たくて、気分も塞ぎ気味で全体に冴えない。
スーパーで買い物をして一万円をレジで出したら、小銭だけ受け取って
帰ろうとしたり、自転車の鍵の掛け忘れ、手袋は片方だけ落として失く
すし、ある寸法を測ったメモを持ってホームセンターに行きアクリル板
を買うつもりだったが、肝心のメモを部屋に忘れて二度足だった等々。
全体に注意欠陥状態のようである。この傾向は花粉症の薬を飲む以前か
らあったのだが、それが強まった感じである。抗精神病薬を十年以上も
服用した服作用が加齢とも併せて、頭を小ボケ状態にするのだろうか。
何の話題もないが、ネットで無料の手相占いをしてみたら、
私の性格は、のんびりした大らかな気質だが、耐性が弱いと出た。
愛に恵まれ運気は良い方らしい。
但し、若い時分に挫折体験があると屈折した性格が表面に出易くなり、
戦闘的な雰囲気を出し過ぎると、周囲から警戒されて辛い人生になる
から、本来の自分を出すと人にも恵まれ仕事もうまくいく、のだそう
である。
上記のようなメッセージは誰を相手に発しても当てはまり易いように
思える。これを「当たってる! この占いはスゴイ」などと感心する
ような素朴なヒトビトだけが「有料サイト」にさらに誘導されていく
のだろう。
私の手相は、感情線・頭脳線・生命線ともに長い方である。但しどれ
もが先細り、先薄れとか先割れしている。結婚線は小指の半分程度、
財産線においてはそれらしき線が見当たらないという風である。
手相は「相」なので変化するものである。江戸時代の観相学者・水野
南北によれば運勢を変えるには、「食」の在り方を変えるが良いのだ
そうだが、「食」の話は措くとして、手のひらの線だけでは占いとし
ても粗雑に過ぎるはずである。
南北は「手は身体から出た枝である」という。手相占いは枝振りから
木を判断している段階に過ぎないのである。
「人の相を見る時は第一にその人の日常の立居ふるまいを通してその
全体像を見る。その後に気力の強弱をみ、次に忠孝の志の有無や
陰徳の志の有無、そして心の動きぐあいをみ、次にその人のする
ことの首尾がうまく行っているかどうかをみ、またその人の見聞き
することや言動を観察する。
その後に骨格、血色、流年(年齢)の状態をみてすべての善悪を判断
するように心がけるべきである。」
(『現代訳 南北相法』岩崎春雄訳・自然社から引用。)
南北相法では、感情線・頭脳線・生命線とは言わず、天紋・人紋・地紋
と呼ぶようだが、手の風情や開き方、指の長さのバランス等、手のひら
の線よりも手全体を捉えて判断しているようである。だが本書で著述さ
れている大部分は顔、面相について詳しく説かれている。
ネットの手相占いに対して、たまたま南北相法を引き合いに出したまで
で、私がこれを信じて勧めているわけではないので、ご注意願います。
私は世に言う「占い」などというものは、ほとんど信じておりません。
(水野南北だけは、少し興味を持って本を一冊だけ持っています。)
ここまで記して、ハテ?、何の話をしていたのか忘れてしまい、画面を
スクロールして‥‥、あぁ、注意欠陥症かぁ、、、
タイトルも、最初の書出しも完全に忘れてました。
さて、この話の落とし処、落とし処、まとめ、まとめ、わっと、、。
ADHD(注意欠陥多動症)というのがありますが、
私の場合は、注意欠陥と、体の多動ではなく、心の多動症のようです。
座禅でも組んで、せいぜい気を落ち着けるよう心掛けましょう。