このところ梅雨に戻ったように、天気が冴えず、涼しい七月である。
今夏は、ほとんどセミの鳴き声を聞かないが、どうしたんだろ?
私は、体調を崩して、珍しく二日続けて吐いてしまった。
夏バテというより、どうも食中毒みたいである。
電気を消したお釜に残ったご飯を食べたら、二時間後に気持ちが悪く
なり、吐いてしまった。この同じ過ちを二日繰り返したのである。
肩や首筋がひどく凝って痛いのと、睡眠不足気味の常態化で、
体調が整わない上に、悪いものを食べたせいで、ダウンしたのだろう。
実はジィジも体調が悪く、一週間も食事が喉を通らない状態であった。
食べると吐くらしく、食欲もない、水分さえ摂りたがらない。
何らかの持病(心臓病・糖尿等)の悪化か、胃に異変が生じているもの
か、病院に付き添って行った。点滴をしたら、かなり元気になったが
原因はよく判らない。が、深刻な状態では多分なさそうである。
病院の待合室でTVを観ていたら、ワイドショーが中国の「新幹線」
脱線事故を報じていた。
国営テレビの女性キャスターは涙を流しながら、鉄道当局を批判して
いた。この事故についてあまり知らなかったが、事故車両を早々に土中
に埋めてしまい、人命救助活動もおざなりで、当局からは賠償金の支払
いが早速アナウンスされていたようである。
(何故か、原発事故を巡る日本社会に似た「既視感」があった!)
まるで、カネを払うからサッサと事故は忘れろ、という調子である。
脱線事故発生から4日目には、もう中国新幹線は運行を再開していた。
TVを観て、私が気になったのは、マスコミと国民との距離感である。
中国では、一般国民は政府・共産党を信用していない。国営マスコミも
同じく信用がない。国民はネットに真実の情報を求めるようになる。
3・11以後の日本でも、福島原発事故や放射線被害の真相については
同じような状況が生じていると思う。
だが、日本では基本的にはテレビ・新聞のマスコミは情報の基盤として
信用されている。国・政府はこれを利用して世論形成を誘導してきた。
そこで、個人が豊かになり、自意識を高めつつある中国でも、同じ手法
が重視され始めているのではないだろうか。
中国国営TVは今後は一般大衆向けに「出来レース」で政府「批判」を
しつつ、マスコミに国民との距離を縮めさせ、関心と信用を取り戻し、
世論形成・世論誘導の役割を担うような、メディア政策シフトを感じる。
政治的現実というものは、いつも理念(例えば「民主化」とか「正義」)
という虹色の言葉を掲げつつ、その内実を灰色に換骨奪胎しては揺れ動
いている。内実(的な利害)というものは、一般には全て知らされない。
一部の事実がたまに、表面に漏れ出る程度である。
アメリカのいう「正義」であれ、現今の中東の「民主化」さえも、
或いは、日本の原発事故も、秘され守られている内実があるはずだ。
それを知ることには、少しの意義があるかもしれないが、
それは誰にも変えられない、革命でさえも改変不可能かもしれない、
構造的中枢だろうと思う。
現実を生きていくということは、それをそうと知りつつ、インチキと
クソッタレの世間に身を置き、この世の一員として、喰えなくなる迄、
自分の生命と存在を自身で全うすることだと思う。
今夏は、ほとんどセミの鳴き声を聞かないが、どうしたんだろ?
私は、体調を崩して、珍しく二日続けて吐いてしまった。
夏バテというより、どうも食中毒みたいである。
電気を消したお釜に残ったご飯を食べたら、二時間後に気持ちが悪く
なり、吐いてしまった。この同じ過ちを二日繰り返したのである。
肩や首筋がひどく凝って痛いのと、睡眠不足気味の常態化で、
体調が整わない上に、悪いものを食べたせいで、ダウンしたのだろう。
実はジィジも体調が悪く、一週間も食事が喉を通らない状態であった。
食べると吐くらしく、食欲もない、水分さえ摂りたがらない。
何らかの持病(心臓病・糖尿等)の悪化か、胃に異変が生じているもの
か、病院に付き添って行った。点滴をしたら、かなり元気になったが
原因はよく判らない。が、深刻な状態では多分なさそうである。
病院の待合室でTVを観ていたら、ワイドショーが中国の「新幹線」
脱線事故を報じていた。
国営テレビの女性キャスターは涙を流しながら、鉄道当局を批判して
いた。この事故についてあまり知らなかったが、事故車両を早々に土中
に埋めてしまい、人命救助活動もおざなりで、当局からは賠償金の支払
いが早速アナウンスされていたようである。
(何故か、原発事故を巡る日本社会に似た「既視感」があった!)
まるで、カネを払うからサッサと事故は忘れろ、という調子である。
脱線事故発生から4日目には、もう中国新幹線は運行を再開していた。
TVを観て、私が気になったのは、マスコミと国民との距離感である。
中国では、一般国民は政府・共産党を信用していない。国営マスコミも
同じく信用がない。国民はネットに真実の情報を求めるようになる。
3・11以後の日本でも、福島原発事故や放射線被害の真相については
同じような状況が生じていると思う。
だが、日本では基本的にはテレビ・新聞のマスコミは情報の基盤として
信用されている。国・政府はこれを利用して世論形成を誘導してきた。
そこで、個人が豊かになり、自意識を高めつつある中国でも、同じ手法
が重視され始めているのではないだろうか。
中国国営TVは今後は一般大衆向けに「出来レース」で政府「批判」を
しつつ、マスコミに国民との距離を縮めさせ、関心と信用を取り戻し、
世論形成・世論誘導の役割を担うような、メディア政策シフトを感じる。
政治的現実というものは、いつも理念(例えば「民主化」とか「正義」)
という虹色の言葉を掲げつつ、その内実を灰色に換骨奪胎しては揺れ動
いている。内実(的な利害)というものは、一般には全て知らされない。
一部の事実がたまに、表面に漏れ出る程度である。
アメリカのいう「正義」であれ、現今の中東の「民主化」さえも、
或いは、日本の原発事故も、秘され守られている内実があるはずだ。
それを知ることには、少しの意義があるかもしれないが、
それは誰にも変えられない、革命でさえも改変不可能かもしれない、
構造的中枢だろうと思う。
現実を生きていくということは、それをそうと知りつつ、インチキと
クソッタレの世間に身を置き、この世の一員として、喰えなくなる迄、
自分の生命と存在を自身で全うすることだと思う。