東日本大震災から五年ぶり、九州の熊本で大地震が起こるとは、誰も
予想し得なかったであろう。やはり、日本のどこでも大震災は起こり
得るという証左だと思う。(勿論、原発の下でも。)
熊本の地震では、強度の余震被災や誘発地震が相次ぎ、九州全土に不
安が拡大していることだろう。震災というと、一回性の大打撃みたい
に考えがちだが、どこの被災地でも、余震という伏魔期間が続く。
かりに家が倒壊してなくとも、怖くて住めないので、不便でも自家用
車に寝起きしたり、生活物資を調達するためにも、公共施設に身を寄
せたりとなるようだ。
ところで近年東京ではあちこち、中国人がとても増えている。観光の
一時滞在だけでなく居住民であったりする。彼らも被災者になり得る
訳で、言葉や文化・風習・考え方等が違うだろうが、日本人と協同し
て被災生活が摩擦なく営めるだろうか。ついそんな想像をした。もっ
とも、母国へ帰ればいいのかしれないが。
住居を追われて衣食住にも事欠き、極度の我慢や不便を強いられるの
が、「被災」という状況である。そのストレス下では、日本人同士で
も摩擦は生じ易かろう。いつも気になるのが、避難所にペットを連れ
てくるのは可か不可かである。犬は見かけるが、猫その他はどうか?
ルールはないようにも見えるが。実際、どうなのか?
また、持病のあるヒトの薬は調達可能か、おカネは必要な場面もある
のか、認知症等の介護老人の取扱いはどうなるのか等々。とにかく身
体的・精神的・経済的その他、以後の人生も、大変にシンドイことに
なるだろう。生活の復興等には、国を挙げて長い支援が必要である。
日本という島国では、ヒトの集団は「ムラ」に成り易い。私はムラ的
なあり方に批判的だが、全否定はしない。「お互い様」とか「お陰様」
というように、協働や協調を重んじ、他者を思いやり感謝したりとい
う善性に通じる国民性も、(日本人の無宗教性を考えると)ムラ的な結
びつきから生じた倫理ではないかとさえ思える。
大昔から日本人は、否応なく数多の自然災害に直面し、それを通して
人間が試され、磨かれ鍛えられてきた。大自然を相手に己が無力を何
度も噛みしめ、どん底に叩きのめされても、大自然はヒトに恵みや喜
びも与えてくれる。それに感謝を捧げつつ這い上がってきたのが、民
衆の歴史だったと思う。
大自然に対しヒトの小さな命は子々孫々、その無常なる繰り返しを忍
び、国土に営々と生を綴ってきた。この切なくも愛(いと)おしい、小
さな人間存在を、一所懸命に我が民は生きてきたのである。
名もなきヒトビトの、艱難辛苦に耐え生きてきた姿を想うとき、果て
が何であれ、己が上の「運命」を愛すべし。起こることは全て、仏掌
の上である。「人間」とは愛おしむべき何かである。
予想し得なかったであろう。やはり、日本のどこでも大震災は起こり
得るという証左だと思う。(勿論、原発の下でも。)
熊本の地震では、強度の余震被災や誘発地震が相次ぎ、九州全土に不
安が拡大していることだろう。震災というと、一回性の大打撃みたい
に考えがちだが、どこの被災地でも、余震という伏魔期間が続く。
かりに家が倒壊してなくとも、怖くて住めないので、不便でも自家用
車に寝起きしたり、生活物資を調達するためにも、公共施設に身を寄
せたりとなるようだ。
ところで近年東京ではあちこち、中国人がとても増えている。観光の
一時滞在だけでなく居住民であったりする。彼らも被災者になり得る
訳で、言葉や文化・風習・考え方等が違うだろうが、日本人と協同し
て被災生活が摩擦なく営めるだろうか。ついそんな想像をした。もっ
とも、母国へ帰ればいいのかしれないが。
住居を追われて衣食住にも事欠き、極度の我慢や不便を強いられるの
が、「被災」という状況である。そのストレス下では、日本人同士で
も摩擦は生じ易かろう。いつも気になるのが、避難所にペットを連れ
てくるのは可か不可かである。犬は見かけるが、猫その他はどうか?
ルールはないようにも見えるが。実際、どうなのか?
また、持病のあるヒトの薬は調達可能か、おカネは必要な場面もある
のか、認知症等の介護老人の取扱いはどうなるのか等々。とにかく身
体的・精神的・経済的その他、以後の人生も、大変にシンドイことに
なるだろう。生活の復興等には、国を挙げて長い支援が必要である。
日本という島国では、ヒトの集団は「ムラ」に成り易い。私はムラ的
なあり方に批判的だが、全否定はしない。「お互い様」とか「お陰様」
というように、協働や協調を重んじ、他者を思いやり感謝したりとい
う善性に通じる国民性も、(日本人の無宗教性を考えると)ムラ的な結
びつきから生じた倫理ではないかとさえ思える。
大昔から日本人は、否応なく数多の自然災害に直面し、それを通して
人間が試され、磨かれ鍛えられてきた。大自然を相手に己が無力を何
度も噛みしめ、どん底に叩きのめされても、大自然はヒトに恵みや喜
びも与えてくれる。それに感謝を捧げつつ這い上がってきたのが、民
衆の歴史だったと思う。
大自然に対しヒトの小さな命は子々孫々、その無常なる繰り返しを忍
び、国土に営々と生を綴ってきた。この切なくも愛(いと)おしい、小
さな人間存在を、一所懸命に我が民は生きてきたのである。
名もなきヒトビトの、艱難辛苦に耐え生きてきた姿を想うとき、果て
が何であれ、己が上の「運命」を愛すべし。起こることは全て、仏掌
の上である。「人間」とは愛おしむべき何かである。