福島の原発事故はここのところ、事態の収束に向けて推移しているように
見える。さらなる爆発事故だけは、回避されつつある方向にも見える。
住民の避難措置が新たに追加され、半径3キロは一時帰宅禁止に、20キロ
圏内は警戒区域として立入禁止となり、20キロ圏周辺地域につき計画的避
難区域と緊急時避難準備区域が設定された。計画的避難区域には、5市町
村が指定され、約3千世帯約1万人が5月末までに避難するらしい。
この避難シフトは原発の爆発が予想されるためではなく、現状のまま居住
を継続しては累積被曝量が高くなり、健康被害が懸念されるためのようで
ある。TVで酪農の牛たちが、牛舎で一斉にうめき声を上げていた姿に痛
々しい思いがしたが、家畜は避難させないのか対応不明である。
原発20キロ圏封鎖では、マスコミが取材で入ることも出来ないわけだが、
現場からマスコミを遠ざける措置を採り、まだ何か起こりそうな予測でも
あるんだろうか?一番の不測事態は、大規模余震と再度の津波発生だが、
そんな不運が出来した日には、もう誰も責められないだろう。
ところで最近気になるのは、関東の大地震あるいは、東海・東南海の大地
震である。静岡には浜岡原発がある。浜岡原発は駿河トラフの中央、白羽
断層の真上にあるようだ。
東海地震が起きると東南海地震も引き続いて起きる可能性が高く、津波が
名古屋を直撃するかもしれない。そんな折に、浜岡原発が水素爆発し、放
射能が東京方面に飛散する。東日本大震災の東海版が十分な現実味をもっ
て想定できる。
私は、今回の東日本大震災では、原発は日本の国情に合わないと思った。
フランスやアメリカに比べて、日本は地震、津波、火山噴火等、大規模自
然災害が歴史的に繰り返されてきた事情がある。日本人は、大規模災害の
発生する合間に安定や繁栄を営み、また災害が勃発しては、振り出しに戻
るという歴史の反復を自然法則のように生きてきた。そこに日本人の国民
気質さえ織り込まれている気がする。
いつも歴史のある局面、だいたいは社会的成熟が極まって、良いも悪いも
熟しすぎて実が落ちた状態というか、誰かが手当てして改革を試行せねば
崩壊しかねないのに、誰も手出し出来ない状態の社会、そんな時期に、大
破局がやって来てご破算になる。そして誰もが裸一貫で手を取り合って、
再建に励む。江戸幕末の地震や明治維新、関東大震災~日米開戦~敗戦で
も、どこかで見たことのある、昔馴染みな歴史の顔なのである。
日本人として生きることは、破局を予感しつつ来る困難に身構えて、その
大波荒波を乗り切り、再び大地に足をつけ、新生に希望を馳せて頑張れる
か、どうかなのだ。
こう書いてしまうと、何だか坂口安吾みたいだが、この繰り返し、この反
復が嫌な人は、「ひとつになろう、ニッポン」ではなく、「ひとりになろ
う、私」で、日本を頑張らず、日本を諦めて、海外に移住するがいい。
見える。さらなる爆発事故だけは、回避されつつある方向にも見える。
住民の避難措置が新たに追加され、半径3キロは一時帰宅禁止に、20キロ
圏内は警戒区域として立入禁止となり、20キロ圏周辺地域につき計画的避
難区域と緊急時避難準備区域が設定された。計画的避難区域には、5市町
村が指定され、約3千世帯約1万人が5月末までに避難するらしい。
この避難シフトは原発の爆発が予想されるためではなく、現状のまま居住
を継続しては累積被曝量が高くなり、健康被害が懸念されるためのようで
ある。TVで酪農の牛たちが、牛舎で一斉にうめき声を上げていた姿に痛
々しい思いがしたが、家畜は避難させないのか対応不明である。
原発20キロ圏封鎖では、マスコミが取材で入ることも出来ないわけだが、
現場からマスコミを遠ざける措置を採り、まだ何か起こりそうな予測でも
あるんだろうか?一番の不測事態は、大規模余震と再度の津波発生だが、
そんな不運が出来した日には、もう誰も責められないだろう。
ところで最近気になるのは、関東の大地震あるいは、東海・東南海の大地
震である。静岡には浜岡原発がある。浜岡原発は駿河トラフの中央、白羽
断層の真上にあるようだ。
東海地震が起きると東南海地震も引き続いて起きる可能性が高く、津波が
名古屋を直撃するかもしれない。そんな折に、浜岡原発が水素爆発し、放
射能が東京方面に飛散する。東日本大震災の東海版が十分な現実味をもっ
て想定できる。
私は、今回の東日本大震災では、原発は日本の国情に合わないと思った。
フランスやアメリカに比べて、日本は地震、津波、火山噴火等、大規模自
然災害が歴史的に繰り返されてきた事情がある。日本人は、大規模災害の
発生する合間に安定や繁栄を営み、また災害が勃発しては、振り出しに戻
るという歴史の反復を自然法則のように生きてきた。そこに日本人の国民
気質さえ織り込まれている気がする。
いつも歴史のある局面、だいたいは社会的成熟が極まって、良いも悪いも
熟しすぎて実が落ちた状態というか、誰かが手当てして改革を試行せねば
崩壊しかねないのに、誰も手出し出来ない状態の社会、そんな時期に、大
破局がやって来てご破算になる。そして誰もが裸一貫で手を取り合って、
再建に励む。江戸幕末の地震や明治維新、関東大震災~日米開戦~敗戦で
も、どこかで見たことのある、昔馴染みな歴史の顔なのである。
日本人として生きることは、破局を予感しつつ来る困難に身構えて、その
大波荒波を乗り切り、再び大地に足をつけ、新生に希望を馳せて頑張れる
か、どうかなのだ。
こう書いてしまうと、何だか坂口安吾みたいだが、この繰り返し、この反
復が嫌な人は、「ひとつになろう、ニッポン」ではなく、「ひとりになろ
う、私」で、日本を頑張らず、日本を諦めて、海外に移住するがいい。