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フランク・ザッパ(1940~1993)の名前を初めて聞いたのは、Deep Purple
の「Smoke on the water」の歌詞によってかもしれない。ザッパは奇人・
変人のロック・ミュージシャンとも思われがちだが、R&Bや現代音楽
を素養にもち、音楽ジャンルを越境した表現者として、一部では高い
評価がされている音楽家である。
私はあまりザッパに馴染みがなかったので、デビュー・アルバム「Freak
Out!!」(1966) と 「Sheik Yerbouti」(1979) を借りて聴いてみた。
1966年といえば、ビートルズが来日した年であり、彼らの実験的音
楽アルバム『Revoler』がリリースされた年でもある。だが、ザッパの
「Freak Out!!」も、同時代のレベルを抜いて、十分に前衛的である。
(画像は、CDジャケットを写した絵だが、雑派先生は、髪を結んで少女
に扮している。バンド名の「フランク・ザッパと発明の母たち」といい、
フザケたおっさんだと思う。)
ザッパとは、一体どんな奴なのか?
CD「フリーク・アウト!」のライナー・ノーツ(1994)で岸野雄一
というヒトがいみじくも表白している。
「クラスに一人はいないが学年には一人位いる
「流行の服は着てないけどかっこよくて、誰とも話が合わないけど
おもしろく、先生を屁理屈で言いくるめられるほど頭のきれる問題児」
の孤立を励ますような歌詞 」
を作って歌うような、ヒゲのおじさんがフランク・ザッパなのだろう。
CDの日本語訳の歌詞を読むと、アメリカ(国家・社会・文化文明)をこき
おろし、またAsshole がどうしたの、屁がどうのと、放送局が流したがら
ないようなことを歌にしている。(だが、ザッパのギターは素晴らしい。)
では、ザッパとは一体、音楽で何をやったヒトか?
「フリーク・アウト!」所収のもうひとつのライナー・ノーツ(1994年)
で湯浅学氏が、これまた、いみじくも述べている。
「システムと戦うことは、武力にかわる芸能力を身につけることである。
フランク・ザッパは音楽という制度(あると思えば敢然として存在する)
を非制度化しようとする大いなる試みを続けるうちに、自らの創造力
が急激に高まってしまった稀有な例である。」
つまりザッパとは、音楽という芸能力で世のシステムと戦ったヒトなの
だ。制度あるいはシステムを、その外側から力で攻撃するのではなく、
内側に身を置き、冗談をやりながら内破すべく試みた御仁なのだ。
私にはザッパが、マンガ家の故・赤塚不二夫に似て想えて来る。「天才
バカボン」とか「レッツラ・ゴン」(商業価値をあざ笑うかのような)
を描いた赤塚マンガも「常識」に固まった世間や制度を、ギャグという
芸能力で撃破しようとした。
「常識」も世間の有り様も諸制度・システムも、誰か(多分、権力ある
ヒトビトの都合で) 作られた決まり事の、押し付けである。
例えば、原子力という発電システムが安全であるという「常識」、
東京都民が東電以外から電気を買えないという「制度」、
或いは、電力という近代文明システムを疑ってみたっていいのである。
フランク・ザッパは(多分)、天才バカの仲間である。
彼は、私が敬愛してやまない、(音楽界の)バカボンのパパだったのだ!
の「Smoke on the water」の歌詞によってかもしれない。ザッパは奇人・
変人のロック・ミュージシャンとも思われがちだが、R&Bや現代音楽
を素養にもち、音楽ジャンルを越境した表現者として、一部では高い
評価がされている音楽家である。
私はあまりザッパに馴染みがなかったので、デビュー・アルバム「Freak
Out!!」(1966) と 「Sheik Yerbouti」(1979) を借りて聴いてみた。
1966年といえば、ビートルズが来日した年であり、彼らの実験的音
楽アルバム『Revoler』がリリースされた年でもある。だが、ザッパの
「Freak Out!!」も、同時代のレベルを抜いて、十分に前衛的である。
(画像は、CDジャケットを写した絵だが、雑派先生は、髪を結んで少女
に扮している。バンド名の「フランク・ザッパと発明の母たち」といい、
フザケたおっさんだと思う。)
ザッパとは、一体どんな奴なのか?
CD「フリーク・アウト!」のライナー・ノーツ(1994)で岸野雄一
というヒトがいみじくも表白している。
「クラスに一人はいないが学年には一人位いる
「流行の服は着てないけどかっこよくて、誰とも話が合わないけど
おもしろく、先生を屁理屈で言いくるめられるほど頭のきれる問題児」
の孤立を励ますような歌詞 」
を作って歌うような、ヒゲのおじさんがフランク・ザッパなのだろう。
CDの日本語訳の歌詞を読むと、アメリカ(国家・社会・文化文明)をこき
おろし、またAsshole がどうしたの、屁がどうのと、放送局が流したがら
ないようなことを歌にしている。(だが、ザッパのギターは素晴らしい。)
では、ザッパとは一体、音楽で何をやったヒトか?
「フリーク・アウト!」所収のもうひとつのライナー・ノーツ(1994年)
で湯浅学氏が、これまた、いみじくも述べている。
「システムと戦うことは、武力にかわる芸能力を身につけることである。
フランク・ザッパは音楽という制度(あると思えば敢然として存在する)
を非制度化しようとする大いなる試みを続けるうちに、自らの創造力
が急激に高まってしまった稀有な例である。」
つまりザッパとは、音楽という芸能力で世のシステムと戦ったヒトなの
だ。制度あるいはシステムを、その外側から力で攻撃するのではなく、
内側に身を置き、冗談をやりながら内破すべく試みた御仁なのだ。
私にはザッパが、マンガ家の故・赤塚不二夫に似て想えて来る。「天才
バカボン」とか「レッツラ・ゴン」(商業価値をあざ笑うかのような)
を描いた赤塚マンガも「常識」に固まった世間や制度を、ギャグという
芸能力で撃破しようとした。
「常識」も世間の有り様も諸制度・システムも、誰か(多分、権力ある
ヒトビトの都合で) 作られた決まり事の、押し付けである。
例えば、原子力という発電システムが安全であるという「常識」、
東京都民が東電以外から電気を買えないという「制度」、
或いは、電力という近代文明システムを疑ってみたっていいのである。
フランク・ザッパは(多分)、天才バカの仲間である。
彼は、私が敬愛してやまない、(音楽界の)バカボンのパパだったのだ!