引越しをしたマンションの部屋も概ね片付き、亡き父母の写真などを
壁に飾ると、何だかかつての住まいに似てくる。父や母の生前の写真
に元気を貰う感じもある。写真を懐かしむというより、彼らは写真の
中で時間が止まっているのである。永遠に「その時」が現在なのだ。
亡き近親の写真に、その写真を撮ったときの「現在」、今では過去と
なったその「現在」に故人たちは止まっている。写真を撮られたとき
の、その時の生気のままにある。その事をとても、いとおしくも麗し
くも思う。それが私の情感、主観に過ぎないにせよ。
勿論、死者は何も語らない。写真になった死者たちは、私の記憶の遠
くにある一瞬を揺さぶってくる。それに呼応して、あぁ、と私の深く
で何かが動き、写真の中の死者が生きた時間や場所と、私の記憶が接
触し交差し、私は死者に触れては、死者を懐に抱いたように感じるが、
と同時に、死者は永遠の遠くに去ってしまった事を今更のように思い
出す。でもその永遠の彼方は、やがては誰もが訪なう「ふるさと」だ。
* * * *
今月初めに、近隣や親戚に転居の経緯等を記した挨拶状を出した。
挨拶状に感謝の意を表したせいか、近所に住む御婆さん(亡き幼馴染
のお母さん)から、ご近所の有志で餞別を出したいという話が持ち上
がっているとか、ご連絡を受けた。暖かいお気持ちは、大変ありが
たいと思ったが、やはり後を引き過ぎるので、お断わりした。
実家は、玄関先・庭先のモノもすっかり片付いてしまい、庭のアスフ
ァルトの割れ目からは雑草が生えていたりと、家や周囲がいかにも
「空き家」っぽくなった。そのせいか、我が家に来る郵便配達の方が、
家の様子がおかしいと心配して、隣り近所に声を掛けてくれたらしい。
隣家のご主人と偶然道路で鉢合わせして、そう聞かされたのだが、大
した近所付き合いもしてなかった私如きに、下町気質なのか、周囲で
様々気を配ってくれて、とても有難いと思う。三世代に亘って住んで
来た古馴染み故の、賜物なのだろう。一戸建てに住む新住民も増えて
いるが、老夫婦やお年寄りの一人暮らしも増えている。
引越しを終えたものの、古巣が去りがたく、実家に布団一組と扇風機
とラジオを置いて、私は未だに寝泊りしている。
壁に飾ると、何だかかつての住まいに似てくる。父や母の生前の写真
に元気を貰う感じもある。写真を懐かしむというより、彼らは写真の
中で時間が止まっているのである。永遠に「その時」が現在なのだ。
亡き近親の写真に、その写真を撮ったときの「現在」、今では過去と
なったその「現在」に故人たちは止まっている。写真を撮られたとき
の、その時の生気のままにある。その事をとても、いとおしくも麗し
くも思う。それが私の情感、主観に過ぎないにせよ。
勿論、死者は何も語らない。写真になった死者たちは、私の記憶の遠
くにある一瞬を揺さぶってくる。それに呼応して、あぁ、と私の深く
で何かが動き、写真の中の死者が生きた時間や場所と、私の記憶が接
触し交差し、私は死者に触れては、死者を懐に抱いたように感じるが、
と同時に、死者は永遠の遠くに去ってしまった事を今更のように思い
出す。でもその永遠の彼方は、やがては誰もが訪なう「ふるさと」だ。
* * * *
今月初めに、近隣や親戚に転居の経緯等を記した挨拶状を出した。
挨拶状に感謝の意を表したせいか、近所に住む御婆さん(亡き幼馴染
のお母さん)から、ご近所の有志で餞別を出したいという話が持ち上
がっているとか、ご連絡を受けた。暖かいお気持ちは、大変ありが
たいと思ったが、やはり後を引き過ぎるので、お断わりした。
実家は、玄関先・庭先のモノもすっかり片付いてしまい、庭のアスフ
ァルトの割れ目からは雑草が生えていたりと、家や周囲がいかにも
「空き家」っぽくなった。そのせいか、我が家に来る郵便配達の方が、
家の様子がおかしいと心配して、隣り近所に声を掛けてくれたらしい。
隣家のご主人と偶然道路で鉢合わせして、そう聞かされたのだが、大
した近所付き合いもしてなかった私如きに、下町気質なのか、周囲で
様々気を配ってくれて、とても有難いと思う。三世代に亘って住んで
来た古馴染み故の、賜物なのだろう。一戸建てに住む新住民も増えて
いるが、老夫婦やお年寄りの一人暮らしも増えている。
引越しを終えたものの、古巣が去りがたく、実家に布団一組と扇風機
とラジオを置いて、私は未だに寝泊りしている。