※下に、J友さんからのコメントを追記しました。
ちょっと後回しになってしまいましたが、先日のブログ「渋谷のお店「ランタン」に、最後の日劇の時の出演者のサイン」
それを見たJ友さんから、最後の日劇のパンフレットの画像を送っていただきました。
「最後のウエスタンカーニバル」のパンフレットを、何故か持っています。表紙とジュリー(コメント部分の拡大)・オールウェイズのページを送ります。
タイガースの出演はギリギリで決まったので、パンフレットにはありません😞💨
表紙
ジュリー
オールウェイズ
下の出演者の名前は、ランタンの壁に貼ってあったものと同じです。やっぱり黒田征太郎さんの文字でした。
「タイガースの出演はギリギリで決まったので、パンフレットにタイガースの画像はありません😞💨」
それは何故でしょう。
そのお言葉のとうり、1980年末のYOUNGの記事には、出演者の欄にザ・タイガースの名前はありませんでした。私はジュリーは出演場面は少ないだろうし、日劇に思い入れもなく、遠征までして観に行こうとは思いませんでした。タイガースが出ると知っていたら、行ったかも・・
※追記(J友さんの最後の日劇の思い出)
私も最後の日劇を観に行きました。他の人が花束をファンから貰ってるのに、ジュリーにはなくてラストの日に友と一緒に、ひとつの花束を日劇入り口の花屋で買って、ジュリーが歌ったあとに友と渡しました。掟破りと解ってましたが、ありがとうと握手までしてくれました、数分の出来事でしたが、今でも柔らかいジュリーのての感触が残っています、あの時は勇気が有りました!
当時の週刊誌の記事をJ友さんから頂きました。
1971年にザ・タイガースが解散してから、当時で10年。メンバーはバラバラに活動していましたし、即座にタイガースを再結成とは難しかったんでしょうね。慶応高校の教師のピーとは、連絡も取れなかっただろうし。
最後の日劇の舞台にタイガースが出るについて、ピーは参加はできなくても、再結成の連絡と承諾を得たかったのでは。その連絡が取れないがために、タイガースの名前を出演予定に書けなかったのでは、と想像しています。皆が揃わないと、勝手にタイガースとは軽々しく名乗らないところが、ジュリーらしい律義さですね。
当時の週刊誌の記事をJ友さんから頂きました。
脱退というショックをファンに与えて、突然やめてしまったトッポは、昔のことなど忘れたように最後の日劇のステージにタイガースとして参加。反対にピーは、消息はわかっていても 会うことすらかなわない。
ピーがいる全員が揃ったタイガースの姿が見たい!でも頑ななピーは、タイガースの時代を自ら拒否し、絶対に帰ってきてくれないんだろう。
タイガースのファンとして、そんな絶望的な気分で長いあいだ 過ごしておりました。
そんなピー先生は、今は昔を取り戻すかのように精力的に活動しています。京都にお帰りなさい(^-^)
続く・・