(11月21日)ジュリーにチェックイン!パーソナリティの田名部真理さんのお声は、いつもと違い鼻声でした。今日は2曲!!
(番組冒頭)今日からフリーメールでいきましょうとしたところに、三浦徳子(よしこ)さんの訃報が届いたと言うことで、先週 B面の「ジャンジャンロック」をかけた時に、A面の三浦徳子という名前がちょっとね・・脳裏に、なんか意味を持ってかすめたのは、この前触れだったのかと思いながら、というわけで私がこの声であるわけではないですが、このコーナー、2曲ほどおかけしたいと思っております(笑)
先週の放送終わりに酵素風呂にはいってから、洟が止まらなくなったということなんですけど。
(2時5分頃)火曜日歌謡曲では、ジュリーこと沢田研二さんの曲を毎週お届けしています。
11月14日、三浦徳子さんの訃報がいっせいに報じられたことにうけて、このコーナーでもやはり、三浦徳子さん作詞の曲のリクエストが沢山寄せられています。
1978年に作詞家としてデビューされた三浦徳子さん、1980年代の女性作詞家の売り上げで言うと、この三浦徳子さんが女性ではブッチギリで一位だったようなんですよね。
そんな三浦徳子さん、ジュリーにも詞を沢山寄せていますけど、例えば三浦徳子さんが作詞で、沢田研二さんが作曲されている曲は5曲ほどあるんですよね。
その中で、このB面をかけたというのは、なんかこう私の中でよぎるものがあったのかと、かけずにおれません。
この曲には沢山のリクエストを頂きました。
おかけしましょう、「ストリッパー」
作詞が三浦徳子さん、作曲が沢田研二さん、アレンジが伊藤銀次さん、沢田研二さん34枚目のシングル、昭和56年の発売、「ストリッパー」お届けしました。
やっぱり沁みるなぁ、いい曲だなと思いますよね。
この当時の思い出を書いてきて下さった方がいらっしゃいまして、神戸市のラジオネームsaoさん。
『A面の「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」のインパクトはあまりに大きかったです。「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」という曲名が、当時は口に出すのも恥かしいような気がしましたが、すぐに慣れました。
1981年の11月、当時は東京都区内に住んでいて、堺正章さんと榊原郁恵さんが司会をしていた、「ザ・トップテン」というベストテン番組の渋谷公会堂での公開生放送の観覧希望に当選しました。
ジュリーが「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」で曲がランクインしていた時だったので、超ラッキー!!でした。
ジュリー以外の出演者は、あのなめ猫(流行っていた年ですね)に、マッチにトシちゃんなど、ティーンの人気者が沢山出演していたと思います。
ヒラヒラと風に靡く、白い衣装に身を包んだジュリーはとても素敵でしたが、観覧者は10代の若い世代が多く、30過ぎたジュリーへの声援は、マッチらアイドル達への声援に比べれば、明らかに負けていたのが悔しかったです。というのを思い出していた所に、三浦徳子さんの訃報が飛びこんできました』
ということでメッセージを頂いていたんですけど、貴重な羨ましい経験をされていたんですね。でもこれが、75歳の御誕生日の時には、あれだけの声援を受けるジュリーがいたわけですから、今となればいい思い出ですよね。
(続きます)
私が「ザ・トップテン」の観覧をしたのは、1981年11月2日、ジュリーの順位は6位だったと思います。なめ猫は「なめんなよ」というレコードを発売し、注目曲ということで出演しました。
ベストテン入りしていたのは、マッチ、いもきんトリオ、聖子ちゃんも出ていたような気はするんです。観覧者は私よりも若い10代が多くて、マッチらアイドルへの声援が大変大きかったですが、このメンバーなら大声援も当然です。
明らかにジュリーへの声援が負けてると、必死で拍手しましたわ(笑)
前説が、今では大物の小堺一機さんと関根勤さんでした。