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ジュリーの歌った「脱走兵」

2023年12月02日 | JULIE

11月28日火曜日の「うたコン」で、大竹しのぶさんがジュリーの歌った「脱走兵」を歌ったそうです。知りませんでした。※再放送は、12月5日(火) 午後4:15 〜 午後5:00

11月28日(火)生放送「大阪発!今届けたいエールソング」

11月28日(火)生放送「大阪発!今届けたいエールソング」

総合 2023年11月28日(火)午後8:00~午後8:45 堀内孝雄が盟友・谷村新司に捧ぐ▽ブギウギ新納慎也×服部メロディー!「ラッパと娘」も▽石川さゆりがウイスキー貯蔵庫で▽祝日...

NHK MUSIC

 

大竹しのぶさんが、朝日夕刊、毎週金曜日の連載エッセイ「まあいいか」で、「今の私に出来ること」と題して(一部抜粋しました)

『大統領閣下 手紙を書きます もしお暇があれば 読んでください そんな歌い出しで始まるシャンソン「脱走兵」をNHKの「うたコン」で、今週火曜日に歌った。 生れて来たけれど、ずっと戦争の世界に育った僕。戦争に行くようにとの令状が届くが、「僕は決めました 逃げ出すことを」と、大統領に向て書く手紙の言葉で淡々と歌い出す。

フランスの作家で詩人でもあるボリス・ヴィアンが作詞した歌で、1954年に発表され、ベトナム戦争に反対する若者たちの間で世界中に広まった。日本でも高石ともやさん、加藤和彦さんなどが歌い、反戦を訴えてきた歌です。(私は、沢田研二さんの訳で歌いました)※(訳詞:加藤直)

そうそうたる歌手が歌う番組で私が歌う意味は?出演の話が持ち上がった時から、この歌を歌いたいと心に決めていた。なぜなら歌いたい歌を歌うのが私に出来ることなのだから。(中略)

私は歌う。「明日の朝早く・・・僕は旅立つ」と。私は歌う。「この世の果てまで 声高らかに ノンというのだ 戦争を拒否せよ・・・ 僕を見つけたら どうぞ ご自由に 撃って下さい!」(中略)

これからも歌いたい歌を歌っていこう、歌い継がれなければならない歌を。』

何かと制限の多い世の中で、大竹しのぶさんの表現者としての覚悟が伝わってきました。

佐藤剛さんの記事⇒『ボリスヴィアンの「脱走兵」忠実な歌詞で歌い継いだ沢田研二』

ボリス・ヴィアンの「脱走兵」を忠実な歌詞で歌い継いだ沢田研二

ボリス・ヴィアンの「脱走兵」を忠実な歌詞で歌い継いだ沢田研二

「脱走兵(Le déserteur)」はシャンソン歌手のムールジが歌って有名になった曲だが、作詞したボリス・ヴィアンの歌によっても、後々の世代に長く受け継がれていった...

TAP the POP

 

ACT「ボリスヴィアン」は、バブル時代の真っただ中の東京のグローブ座で見ました。ACTの試みがまだ慣れないものであったのと、ボリスヴィアンという人物に対して知識が無かったことで、正直にいうと私には舞台は難解に思えました。あの頃、ベトナム戦争はすでに遠かった。残念ながら、その時は「脱走兵」という楽曲に対し、特別な思いも何も感じずでした。

ネットで検索したら「脱走兵」は、高石ともやさんが「大統領殿」と訳して歌っていたものを、ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦さんが歌い継いだ曲、だそうです。ジュリーの歌った訳詞(加藤直)とはどう違うのだろう?と調べてみました。

Moncieur c’nom grande

おエライさんたち 読んでほしい この手紙を
とうとう僕も 戦場へ行けと 徴兵カードを もらったところ
だけど僕は 戦いたくない 見知らぬ人を 殺したくはない
あなたたちは 怒るでしょうが 僕は逃げよう 地の果てまでも
父は昔 戦争で死んで 子供たちは 泣きじゃくってた
女手ひとつ 苦労していた 母も今は 墓の中
罪なき者が 罪なき者の 命を奪う 哀しみの日々
自由のため 国を守れと 戦場に消えて 夢奪われて
Moncieur c’nom grande
この戦争に どんな大きな 意味があるのか
僕は毎日 考え抜いた どんな正義も 見つけ出せぬ
だから僕は 戦いたくない 罪なき人を 殺したくはない
僕は逃げる ひきょうと言われても 憲兵たちよ 撃つがいい 
撃つがいい 


訳詞は、ジュリーとはかなりの違いがありましたが、伝えたいことは変わりません。

いま、ちょうど朝ドラの「ブギウギ」の時代は第二次大戦の前夜です。国民に有無を言わさず戦争に突き進む時代の空気を描いていて、例えドラマといえども、見ていると息苦しくなります。

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