早生まれは一流のスポーツ選手になりにくいというデータが多数発表されている。小学校1年生の時点で3月生まれと4月生まれでは約330日の差がある。この時点でのこの差は大きい。
スポーツの場合、その時点での能力の高い者が優遇される。足が早ければクラスの代表に選ばれるだろうし、集団競技では重要なポジションを任せられる。このことによって物理的にも心理的にもエリート教育が施されているから、遅生まれは本来の能力以上に有利になる。
知力の場合はそうならない。統計処理をしなければ有意かどうか分からないほどの小さな差しか生じていないらしい。その時点での能力が同等であれば同程度の知力になることは好ましい。しかし現在の初等教育では能力のある者を抑え込むことによって結果の平等を作り出している。丁度、小さな鉢に植えられた木が小さく育つように強制的に同レベルに揃えられている。
教育環境に恵まれた児童なら公立小学校では育まれない本来の能力を学校外や私立学校で伸ばすことができる。しかし恵まれない児童なら伸びる筈の芽が枯らされてしまう。子供の学力が親の経済力や学歴と有意な相関性を示すのはこんな事情によるのではないだろうか。
スイミングスクールでは細かい等級分けが行われて、年齢とは無関係にレベルに応じたレッスンが受けられる。日本では習熟度に応じた教育や飛び級はエリート教育として否定されているが、成育度に見合った教育を受けることは当然の権利だと私は考える。これが一向に見直されようとしないのは、資産の多寡によって学力に差が付く現在の教育のままのほうが富裕層にとっては有利だからだろうか。
スポーツの場合、その時点での能力の高い者が優遇される。足が早ければクラスの代表に選ばれるだろうし、集団競技では重要なポジションを任せられる。このことによって物理的にも心理的にもエリート教育が施されているから、遅生まれは本来の能力以上に有利になる。
知力の場合はそうならない。統計処理をしなければ有意かどうか分からないほどの小さな差しか生じていないらしい。その時点での能力が同等であれば同程度の知力になることは好ましい。しかし現在の初等教育では能力のある者を抑え込むことによって結果の平等を作り出している。丁度、小さな鉢に植えられた木が小さく育つように強制的に同レベルに揃えられている。
教育環境に恵まれた児童なら公立小学校では育まれない本来の能力を学校外や私立学校で伸ばすことができる。しかし恵まれない児童なら伸びる筈の芽が枯らされてしまう。子供の学力が親の経済力や学歴と有意な相関性を示すのはこんな事情によるのではないだろうか。
スイミングスクールでは細かい等級分けが行われて、年齢とは無関係にレベルに応じたレッスンが受けられる。日本では習熟度に応じた教育や飛び級はエリート教育として否定されているが、成育度に見合った教育を受けることは当然の権利だと私は考える。これが一向に見直されようとしないのは、資産の多寡によって学力に差が付く現在の教育のままのほうが富裕層にとっては有利だからだろうか。