俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

初等教育

2013-05-06 10:17:00 | Weblog
 早生まれは一流のスポーツ選手になりにくいというデータが多数発表されている。小学校1年生の時点で3月生まれと4月生まれでは約330日の差がある。この時点でのこの差は大きい。
 スポーツの場合、その時点での能力の高い者が優遇される。足が早ければクラスの代表に選ばれるだろうし、集団競技では重要なポジションを任せられる。このことによって物理的にも心理的にもエリート教育が施されているから、遅生まれは本来の能力以上に有利になる。
 知力の場合はそうならない。統計処理をしなければ有意かどうか分からないほどの小さな差しか生じていないらしい。その時点での能力が同等であれば同程度の知力になることは好ましい。しかし現在の初等教育では能力のある者を抑え込むことによって結果の平等を作り出している。丁度、小さな鉢に植えられた木が小さく育つように強制的に同レベルに揃えられている。
 教育環境に恵まれた児童なら公立小学校では育まれない本来の能力を学校外や私立学校で伸ばすことができる。しかし恵まれない児童なら伸びる筈の芽が枯らされてしまう。子供の学力が親の経済力や学歴と有意な相関性を示すのはこんな事情によるのではないだろうか。
 スイミングスクールでは細かい等級分けが行われて、年齢とは無関係にレベルに応じたレッスンが受けられる。日本では習熟度に応じた教育や飛び級はエリート教育として否定されているが、成育度に見合った教育を受けることは当然の権利だと私は考える。これが一向に見直されようとしないのは、資産の多寡によって学力に差が付く現在の教育のままのほうが富裕層にとっては有利だからだろうか。

外宮

2013-05-06 09:52:52 | Weblog
 今年、式年遷宮が行われる伊勢神宮は内宮と外宮に分かれており、内宮には天照大御神(アマテラスオオミカミ)、外宮には豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)が祀られている。日本神話の主役の一人である天照大御神と比べて豊受大御神の歴史的(神話的)存在感は極端に乏しい。日本書紀には登場せず、古事記に豊宇気毘売(トヨウケビメ)として名前だけが登場する農業の女神だ。この激しいギャップの原因は何だろうか。
 古来、日本人は滅ぼした者を篤く祀った。大国主や菅原道真、あるいは聖徳太子もその一人かも知れない。これは祟りを恐れるからだ。伊勢神宮も祟り信仰に基づくものではないだろうか。もしそうなら出雲と同格あるいはそれ以上の2人が祀られているということになる。
 ヤマト王朝が残した歴史には記されず、中国の正史にのみその名が残されている女王が2人いる。卑弥呼と台与(トヨ)だ。私は邪馬台国は東征した神武天皇あるいはその子孫によって滅ぼされたと考えている。ヤマトの歴史には邪馬台国の痕跡が全く残っていないからだ。魏から授かった「親魏倭王」の金印紫綬が残っていないのは勿論のこと、魏との関係の伝承さえ失われている。これは邪馬台国が武力で滅ぼされたからだろう。
 日本書紀には魏志倭人伝からの引用があり、神功皇后の時代のこととされているが、これは明らかに100年ほどズレている。こんな変な設定にしたのは滅ぼした邪馬台国の歴史を抹消するためだろう。
 卑弥呼は「日巫女」と解釈されることが多いが、「日御子」の意味ならこれは正に天照大御神であり、その国を譲り受けた台与が豊受大御神ではないだろうか。彼女らは王であると同時にシャーマンでもあり、最も祟りそうな存在だけに大切な神として祀られたと私は考える。
 伊勢神宮の起源は素人の妄想かも知れないが、邪馬台国の歴史とヤマトの歴史に断絶があることはほぼ確実だろう。