俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

家事

2013-05-29 15:59:37 | Weblog
 女性の社会進出が盛んに奨励されている。「企業が女性の能力を生かし切れていない」という指摘になら同意できるが「能力の高い女性は外で働け」と言っているような主張は「育児や家事に励む女性は人間のクズだ」と言っているように聞こえて腹が立つ。なぜこんな差別的な発言が放置されているのだろうか。
 マスコミに登場する人は仕事を持っている。男女共に仕事を持つ人だけが発言し、マスコミで働く人がそれを報じる。仕事を持つ人しかいない閉じられた世界が総ての情報発信源だ。
 働いている人は自分を肯定する。働いて収入を得ることが唯一無二の正しい生き方だと信じてそれを疑おうとはしない。自分の生き方を肯定するのは構わないが違った生き方を否定することはやめて貰いたいと思う。社会で働くことのみを是とする偏狭な価値観こそ否定されるべきだ。
 私はずっと高等遊民に憧れていた。働くとは「企業の利益を拡大するために有償で貢献すること」に過ぎず、社会貢献とも自己実現とも全く無関係だ。年金受給者になってようやく「社畜」から解放されたと思っている。男性だけではなく女性まで社畜にしようとする今の風潮には賛成できかねる。
 「主夫」にも憧れていた。妻の収入に頼って主夫業に専念するというまるでヒモのような生き方で、周囲からは馬鹿にされそうだが社畜よりは人間らしい生活だと思っていた。残念ながら実現できなかっただけに、実現できる女性を羨ましく思う。
 家事も育児も立派な労働だ。なぜ家事や育児に専念することが否定されねばならないのだろうか。家事のプロである専業主婦という生き方こそ積極的に肯定されるべきだ。私は山口百恵さんの生き方を支持する。マスコミが家事や育児を蔑視するから少なからぬ女性が無理な二重生活を強いられている。新しい女性解放論は、外での仕事からの解放でもあるべきだろう。

用不用

2013-05-29 10:00:16 | Weblog
 ラマルクの用不用説は否定された。彼は獲得形質が遺伝すると唱えたが、何世代にも亘って尻尾を切り続けても尻尾の短い鼠は生まれなかった。
 遺伝のレベルでは用不用説は否定されたが個体のレベルでは有効だ。よく使えば発達するし使わなければ萎縮する。後者は廃用性萎縮と呼ばれている。
 前者は誰でも知っている。スポーツ選手を間近に見ているからだ。彼らの超人的な運動能力は鍛錬の賜物だ。筋肉と同様、脳もよく使えば発達すると思われるがこちらは証明されてはいないようだ。脳については人体実験ができないからだろうか。
 廃用性萎縮は老人において多く確認されている。寝たきり老人や老人性認知症の多くが実は機能的なものではなく人為的なものだと言われている。一日中寝かされていれば脳を含めて全身が廃用性萎縮を起こしても不思議ではない。
 若い人の多くが廃用性萎縮は老人に起こるものだと思っている。若い内は使わなくても現状が維持され使えば発達すると思っているようだが、これは間違いだ。廃用性萎縮は若年期どころか成長期にも起こる。私自身の経験だが、小学生の時に左腕を骨折した。ギプスを外した時に左腕が見るも無残なほどに痩せ細っていることに驚愕した。
 用不用の法則は進化においては否定されたが個人においては有効だ。若い内に脳と体をしっかりと鍛えておかないと後で後悔することになる。

一人1票

2013-05-29 09:36:32 | Weblog
 成年後見制度で後見人が付いている人の投票権が認められることになった。誰もが対等な権利を持ち一人1票という原則からすれば当然のことなのだが、このことによって却って一人1票のルールが崩されようとしている。
 被後見人の事情は様々なので一概には言い難いが、身辺のこともできない人がどうやって政治的な判断をするのだろうか。彼らは何を根拠にして1票の権利を行使するだろうか。多分、大半が後見人の言いなりになるだろう。
 認知症の老人についても同じことが起こる。施設に入居している人なら施設の指示どおりに投票するだろう。するとその施設は特定の候補者に対して何十票も投票できることになる。これでは一人1票の原則から逸脱するのではないだろうか。今回の法改正では第三者の立会を「努力義務」としている。これでは実質的にザル法であり立会人不要ということになってしまう。
 知的障害者の投票権を強く主張しているのは本人ではない、周囲の人だ。それは知的障害者の権利の行使のためではなく、自分の言いなりになる人の投票権、言い換えれば自分の投票権を拡大することが目的だ。
 どんな人であろうともその人の意志であれば唯一無二のものであるから尊重されねばならない。しかし他人の意志を意志させられているのなら、それを独自のものと認めることはできない。
 一般の人が1票しか持てないのに介護をする人に実質的に2票あるいはそれ以上の投票権を与えるべきではない。それを防ぐための罰則が不可欠だ。