部分最適は視野の狭い考え方で全体最適を目指さねばならないと教え込まれる。しかし部分は全体のために犠牲にされるべきだろうか。
日本という国は沖縄を犠牲にして成り立っているところがある。主権回復時には沖縄を切捨て、基地問題も沖縄に押し付ける。これを全体最適と呼んで良いのだろうか。沖縄県民の怒りは正当だ。
大阪のJRは阪和線も大和路線も環状線に乗り入れている。これによって各線の乗り換えがスムーズになっているが、その一方、環状線で事故があると全線が止まってしてしまう。全体のせいで部分までマヒする。
近鉄はその逆だ。大阪線と南大阪線が大動脈なのだがこの2線の相互乗り入れは無い。だからどちらかで事故が起こってももう一方に被害が及ぶことは無い。
ラグビーでは`One for all. All for one.'という言葉がしばしば使われる。一人が全体のためになるだけではなく全体が一人のために機能せねばならない。因みにこの言葉の出典はアレクサンドル・デュマの「三銃士」だ。
「全体」という言葉が使われても多くの場合それは「多数者」を意味している。多数者のエゴによって少数者は虐げられている。「全体」という言葉を使うなら部分を切り捨てるべきではない。`All for one.'が欠けている。
全体主義は組織のために個人が犠牲になることを強いるが、歪んだ目的を持った機械の部品になっても仕方が無い。自己犠牲は崇高な行為ではなく、多数者または支配者を利するだけの愚行だ。
日本という国は沖縄を犠牲にして成り立っているところがある。主権回復時には沖縄を切捨て、基地問題も沖縄に押し付ける。これを全体最適と呼んで良いのだろうか。沖縄県民の怒りは正当だ。
大阪のJRは阪和線も大和路線も環状線に乗り入れている。これによって各線の乗り換えがスムーズになっているが、その一方、環状線で事故があると全線が止まってしてしまう。全体のせいで部分までマヒする。
近鉄はその逆だ。大阪線と南大阪線が大動脈なのだがこの2線の相互乗り入れは無い。だからどちらかで事故が起こってももう一方に被害が及ぶことは無い。
ラグビーでは`One for all. All for one.'という言葉がしばしば使われる。一人が全体のためになるだけではなく全体が一人のために機能せねばならない。因みにこの言葉の出典はアレクサンドル・デュマの「三銃士」だ。
「全体」という言葉が使われても多くの場合それは「多数者」を意味している。多数者のエゴによって少数者は虐げられている。「全体」という言葉を使うなら部分を切り捨てるべきではない。`All for one.'が欠けている。
全体主義は組織のために個人が犠牲になることを強いるが、歪んだ目的を持った機械の部品になっても仕方が無い。自己犠牲は崇高な行為ではなく、多数者または支配者を利するだけの愚行だ。