俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

勝てば官軍

2013-05-22 09:57:46 | Weblog
 「勝てば官軍」という言葉は「力こそ正義だ」という意味ではない。むしろ勝って驕る人に対する侮蔑を感じさせる言葉だ。戊辰戦争や西南戦争で敗れた会津や薩摩は「負けたから賊軍」の筈だが彼らを悪と考える人は殆どいない。「平家物語」にしても「悪いから滅びた」という史観ではなく亡びの哀しさがテーマとも思える。判官贔屓の語源でもある源九郎判官義経に対する思い入れに至っては贔屓の引き倒しではないかとさえ思える。
 敗れた者に日本人は優しい。それは戦争による決着の理不尽さを知っているからだろう。これは口喧嘩の決着を腕力に頼るような野蛮な行為であり正義とは全く懸け離れている。
 これほど敗者に理解を示す日本人だが第二次世界大戦の敗者に対しては徹底的に差別する。ヒットラーやムッソリーニや日本軍は悪の権化として扱うことが義務付けられている。これは日本人の美徳にはそぐわない。
 当時はABCD包囲網という言葉が使われていた。つまり米英中とオランダによって日本が追い詰められているという認識だ。戦争以外に選択肢は無かったのかも知れないが、中国と戦っている最中に更に米英オランダと戦うのは全く無茶な話だ。これは窮鼠が猫を噛まさせられたとしか考えられない。
 日本の戦争を肯定しようとは思わない。しかし10の内3ぐらいは「理」があったのではないだろうか。それを全否定して、アメリカによって押し付けられた歴史を無批判に受け入れ続けることは断固拒否したい。少なくとも広島・長崎に対する原爆投下は人類史上最大級の無差別大量虐殺であり絶対に認められない。是々非々の姿勢を持つべきだ。

待機0

2013-05-22 09:28:17 | Weblog
 横浜市が「保育所待機児童数が0になった」と発表した。マスコミはこれを好意的に報じているが、典型的な無駄遣いではないだろうか。
 0や100点を目標にすれば多くの無駄や不合理が発生する。例えば交通事故を0にしようとすれば道路はマヒするだろうし、放射線量を0にしようとすれば鉛の箱の中に閉じ籠るしかない。
 飲食店を考えれば分かり易いが、機会損失0はナンセンスだ。ビジネス街で昼食時に順番待ちの列ができないのは余程駄目な店だけだ。ピーク時でさえ客が溢れない店はピーク時以外には閑古鳥が鳴き続けているだろう。
 実際に横浜市の場合、認可保育所580ヶ所の内253ヶ所で空きが生じ、2,096人が欠員となっているそうだ。明らかに作り過ぎだ。待機児童0は異常な状態であり、常に数人が順番待ちをしているほうが健全な状態だろう。
 0を目標にすると多大な無駄が発生する。民間企業の場合なら費用対効果を考えるので歯止めが掛かるが、お役所は0という数値目標が唯一の指針となって形振り構わず猪突猛進してしまう。役人以上に政治家は人気稼ぎのために経済合理性を無視して話題作りに励む。3年前に1,552人だった待機児童の解消のために370億円も注ぎ込んでいるらしい。一人当たりにすれば2,000万円以上だ。もし0ではなく100人を目標にしていればこの1/10で済んでいただろう。これはポピュリズムと言わざるを得ない。
 マスコミはこんな暴走を監視すべきなのに、それに乗せられて絶賛するとは意識が低過ぎる。