和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたが、それが素材偏重なら困ったことだ。京料理は素材の一番良い部分しか使わないと言う。これが最上以外の部分は捨てるということなら「勿体無い」の精神に背く。そんな公家料理など日本文化とは言えない。
私は日本文化の真髄は大衆文化だと思っている。支配者層よりも知的レベルの高い庶民が築く文化だ。寿司は江戸の町民のファストフードだったし、歌舞伎も浮世絵も庶民の文化だ。決して公家や武士の文化ではない。現代日本が世界に誇る漫画・アニメもサブカルチャーだ。
公家料理に一番良い素材を使った残りは多分捨てずに家臣が食べたのだろう。言わば賄いだ。京料理の技法を駆使して二級の素材を美味しく料理したのではないだろうか。「料理する」という言葉にはそんなニュアンスも含まれているように思う。家臣は公家の数倍はいたと思われるからこうすれば貴重な食材を無駄にせずに済む。
松阪に「和田金」という松阪肉を中心に据えた料亭がある。ここではヒレとロースしか使わない。あくまで噂だが「裏の和田金」と呼ばれるホルモン屋がある。ここでは和田金が使わない肉や内臓を安く仕入れて売っていると言われている。
では料亭ではどうしているのだろうか。幾らかは賄いに回すだろうが料亭の従業員は家臣ほど多くないから食材が余ってしまう。セカンドブランドという手がある。カジュアル和食店を経営して二級の食材を丁寧に料理して安くて手軽に和食を楽しんでもらうという戦略だ。
素材の良さを生かすという和食のコンセプトは素晴らしいが、良くない食材の活用ということまで含めて和食文化を理解すべきだろう。
私は日本文化の真髄は大衆文化だと思っている。支配者層よりも知的レベルの高い庶民が築く文化だ。寿司は江戸の町民のファストフードだったし、歌舞伎も浮世絵も庶民の文化だ。決して公家や武士の文化ではない。現代日本が世界に誇る漫画・アニメもサブカルチャーだ。
公家料理に一番良い素材を使った残りは多分捨てずに家臣が食べたのだろう。言わば賄いだ。京料理の技法を駆使して二級の素材を美味しく料理したのではないだろうか。「料理する」という言葉にはそんなニュアンスも含まれているように思う。家臣は公家の数倍はいたと思われるからこうすれば貴重な食材を無駄にせずに済む。
松阪に「和田金」という松阪肉を中心に据えた料亭がある。ここではヒレとロースしか使わない。あくまで噂だが「裏の和田金」と呼ばれるホルモン屋がある。ここでは和田金が使わない肉や内臓を安く仕入れて売っていると言われている。
では料亭ではどうしているのだろうか。幾らかは賄いに回すだろうが料亭の従業員は家臣ほど多くないから食材が余ってしまう。セカンドブランドという手がある。カジュアル和食店を経営して二級の食材を丁寧に料理して安くて手軽に和食を楽しんでもらうという戦略だ。
素材の良さを生かすという和食のコンセプトは素晴らしいが、良くない食材の活用ということまで含めて和食文化を理解すべきだろう。