俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

絶滅

2013-12-17 09:13:13 | Weblog
 長江(揚子江)にいた河海豚は中国人に食べ尽くされたらしい。「何と残酷な!」と思う人がいるなら自らを省みる必要がある。鰻と黒鮪は日本人によって食べ尽くされそうな状況だ。
 日本人にとって鰻は蒲焼が泳いでいるように見え、鮪は刺身が泳いでいるように見えるようだ。私の友人の一人は海洋ドキュメント番組を見ていて魚が現れる度に「旨そうだ」「旨そうでない」と呟いていた。彼にとっての魚の第一分類は旨そうか旨そうでないか、だった。多くの日本人も似たような感覚ではないだろうか。水族館でも似た経験をしたことがある。魚を動物ではなく食物として認識する。
 日本人は尾頭付きの魚を有り難がるが尾頭付きの豚を見たがらない。西洋人はその逆で豚の頭なら平気だが魚の頭を気味悪く感じるそうだ。
 動物を生物と捕らえるか食物と捕らえるかは主観的なことであり、私はとやかく言う立場にはいない。問題は正しい情報を持って判断しているかどうかだ。
 中国の漁民は、河海豚が絶滅しかけていることなど知らなかった。中国のマスコミはそんなことを報じないからだ。漁民は、漁獲量が減ったとは思いつつたまに獲れたら「大物が獲れた」と大喜びしたことだろう。河海豚を絶滅させようなどとは微塵も考えなかった。しかしその一方で、日本のマスコミは鰻や黒鮪が絶滅しそうだということを報じている。そのことを知りながら平気で食べ続ける日本人は中国人以上に貪欲な民族ではないだろうか。狼やカワウソなどを絶滅させた日本人は、種の絶滅ということに対しては呆れるほど鈍感だ。

速球

2013-12-17 08:48:39 | Weblog
 150㎞/hを超える速球を投げる投手がいる。練習の賜物だろうが、誰でも練習を積めばこんな球が投げられる訳ではない。素質に恵まれた人が必死に練習して初めてこんな超人的な力を発揮できる。しかし速い球を投げる遺伝子が存在する訳ではない。速い球を投げるためには様々な素質が必要だ。強い筋肉、柔軟な関節、丈夫な足腰、あるいは背の高さや腕の長さも有利に働く。そして何よりも全体を機能的に働かせる制御力が必要だ。これほど多くのことを少数の遺伝情報で伝えることはどう考えても不可能であり、かなり多数の遺伝子が関与しているものと思える。勿論、遺伝子で足りない部分を後天的に補うことは可能だ。しかしそれでは先天的に恵まれた才能を後天的に更に強化した人には敵わない。
 速い球を投げるだけでも多くの遺伝子が複合的に働かねばならないのだからもっと複雑な能力、例えば思考力の高さのためには無数の遺伝子が働いているのだろう。仮に脳を大きくする遺伝子があってもそれだけで思考力が高まるとは思えない。優れた能力のためには多くの遺伝子の連携が必要だ。
 逆に能力を低下させるためにはほんの1つの遺伝子の狂いだけでも充分だ。肘の関節が少し悪ければ他の能力が総て備わっていても150㎞/hの球は投げられない。
 優れた才能はガラス細工のように脆い。回線が1箇所ショートしただけで全停止する電子機器のようなものだ。人は様々な能力を持っている。どの能力も複雑な機能が調和して初めて機能する。脳腫瘍などを患えば幻覚を見ることもあるそうだが、部分の狂いが全体を台無しにする。