もし日本でギャンブルが公認されていたら私は自分が望まない結果に賭ける。例えばサッカーのワールドカップならグルプリーグ予選敗退に賭ける。コートジボワール戦もギリシャ戦もコロンビア戦も日本が負けるほうに賭ける。こんなヘソ曲がりな賭け方をする理由は2つある。
1つはそのほうが儲かるからだ。殆んどの人は願望に基づいて賭ける。勝って欲しいと思えば勝つというほうに賭ける。あるアンケートでは、日本が予選敗退と予想する人は20%程度しかいないそうだ。
シードのコロンビアは頭1つ抜けており他の3チームは団栗の背比べでありどのチームが勝ち上がっても不思議では無かろう。従って2位以上になる可能性は1/3ずつと見るのが妥当だろう。つまり予選突破の可能性は30%程度だろう。実際の可能性が30%なのに80%の人が予選突破と考えているのなら、配当率を考えれば敗退に賭けたほうが絶対に有利だ。
事実と願望は峻別されねばならない。戦時中なら「このままでは日本は負ける」と言えば非国民と非難されただろう。事実に基づいて判断した上で、どうすれば負けないかあるいはダメージの少ない負け方にできるかを考えるべきだ。癌を宣告された患者が「取り消してください」と怒ることがしばしばあるそうだ。事実を認めたがらない人は少なくない。願望と事実はしばしば相反する。贔屓目に見ることを否定する気は無いがそれが贔屓目であることを自覚する必要がある。
もう1つの理由は危険の分散だ。私だって日本のチームが勝って欲しいと思っている。あわよくば優勝して欲しいとも思っている。しかし願望の逆張りをしておけば勝っても負けても楽しめる。負ければ負けるほど賭けでは勝てるのだから悔しさも少なからず薄らぐ。これは精神衛生上好ましいことだ。
1つはそのほうが儲かるからだ。殆んどの人は願望に基づいて賭ける。勝って欲しいと思えば勝つというほうに賭ける。あるアンケートでは、日本が予選敗退と予想する人は20%程度しかいないそうだ。
シードのコロンビアは頭1つ抜けており他の3チームは団栗の背比べでありどのチームが勝ち上がっても不思議では無かろう。従って2位以上になる可能性は1/3ずつと見るのが妥当だろう。つまり予選突破の可能性は30%程度だろう。実際の可能性が30%なのに80%の人が予選突破と考えているのなら、配当率を考えれば敗退に賭けたほうが絶対に有利だ。
事実と願望は峻別されねばならない。戦時中なら「このままでは日本は負ける」と言えば非国民と非難されただろう。事実に基づいて判断した上で、どうすれば負けないかあるいはダメージの少ない負け方にできるかを考えるべきだ。癌を宣告された患者が「取り消してください」と怒ることがしばしばあるそうだ。事実を認めたがらない人は少なくない。願望と事実はしばしば相反する。贔屓目に見ることを否定する気は無いがそれが贔屓目であることを自覚する必要がある。
もう1つの理由は危険の分散だ。私だって日本のチームが勝って欲しいと思っている。あわよくば優勝して欲しいとも思っている。しかし願望の逆張りをしておけば勝っても負けても楽しめる。負ければ負けるほど賭けでは勝てるのだから悔しさも少なからず薄らぐ。これは精神衛生上好ましいことだ。