俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

善悪二分

2013-12-24 10:22:05 | Weblog
 先日、王将フードサービスの大東社長(当時)が射殺された。さっぱり訳の分からない事件だが、マスコミの報道は例によって歪んでいる。
 経営危機を店舗閉鎖で乗り越えたが人減らしはしなかったとか言って人格者ぶりを強調する。ついこの間まで和民と並べてブラック企業として非難していたのではなかったのか。王将がブラック企業ならブラック社長だろう。この激しい落差は一体何なのだろうか。
 なお、私は王将をブラック企業とは思っていない。言い掛かりだ。確かに仕事に対する姿勢は厳しいようだが、それに見合った報酬を支払う優良企業だと思っている。そうでなければ技術の高い料理人が続々流出するので多店舗展開は不可能だろう。
 マスコミの二分法の弊害がモロに出ている。マスコミはいつも善と悪に二分割して問題を単純化しようとする。
 1つは被害者は善人で加害者は悪人という決め付けだ。死者を鞭打たないということは日本人の美徳だが、マスコミが善人・悪人のステレオタイプでしか報じないから事実が全く分からなくなる。猪瀬知事の扱いにしてもヒーローから極悪人へと激変した。余りにも空気を読み過ぎている。まるで風見鳥だ。
 もう1つはブラック企業という言葉だ。多分真っ黒な企業も真っ白な企業も殆んど無く大半がグレー企業だ。どの企業でも脛に疵を持っているだろう。それが発覚すればマスコミは鬼の首を取ったかのように大喜びしてスキャンダラスに騒ぎ立てる。読者や視聴者は極悪の犯罪があったかのように思い込む。マスコミの暴走のせいで退職を余儀無くされた社員や経営危機に陥ったり実際に倒産に追い込まれた企業は少なくない。これは言論による暴力だ。
 マスコミは善悪を決める権限など持っていない。それにも関わらず虚像を利用して社会的制裁を加える。正義の味方ぶって断罪するのはもうやめて欲しいと思う。

五輪代表

2013-12-24 09:46:56 | Weblog
 ソチ五輪のフィギュアスケートの日本代表に高橋大輔選手が選ばれたことに対して一部で異論が出ているようだが、これは妥当な選出だ。そもそも今回行われた競技会は「全日本選手権」であり「代表決定戦」ではない。確かに「代表選考会を兼ねる」とされているがそれはあくまで優勝者が代表に選ばれるということであって2位以下に代表権を与える大会ではない。この試合の結果だけで決まると思っていた人はフジテレビの営業戦略に騙されている。
 日本スケート連盟は事前に「代表選考基準」を発表していた。その基準に従って1人目として羽生選手、2人目として町田選手が選ばれた。ここまで異存は無かろう。
 問題の3人目として「2人目の選考から漏れた選手と、全日本選手権終了時点での世界ランキング上位3名と、ISUシーズンベストスコアの上位3名選手の中から選考」とされている。
 第一条件を満たすのは小塚選手だ。第二・第三条件を満たすのはどちらも羽生・高橋・町田の3選手だ。羽生・町田選手はそれぞれ1人目・2人目として選ばれているので高橋選手だけが候補者として残る。つまり第一条件を満たす小塚選手と第二・第三条件を満たす高橋選手の優劣を競うということになる。私は1つの条件しか満たさない小塚選手よりも2つの条件を満たす高橋選手のほうが代表に相応しいと考える。この基準に従えば小塚選手は安藤美姫選手と同様、優勝しない限り代表に選ばれることは困難であり、23日の朝刊で「高橋は五輪絶望」という見出しの記事を掲載した毎日新聞の見識を疑う。
 昔、女子マラソンの五輪代表を巡って揉めたことがあり、それ以降、選考基準が明文化されるようになった。今回の決定は選考基準に従った正当な選考であり何の問題も無い。
 これは入学試験と内申書で総合判断をすると公表した試験で総合点が上の者を合格者とするのと同じことであり、入学試験で高得点の者を優遇する理由など全く無い。そんな一発勝負偏重こそ基準に対する裏切りであり恣意的な判定だ。