ハリー・ポッターの影響かどうかは知らないが、近頃の漫画は妙に魔法や超能力を扱った作品が多い。魔法や超能力に頼ることはたとえ少年漫画であろうとも余りにも子供騙しであり、現実的な解決を放棄した逃避願望だと思う。それを安易な手法と考えるか夢を与えるロマンと考えるかは当然意見が分かれる所だろうが、下手な宗教的訓話における「神による救済」と同様に低レベルな物語だと思う。困ったら魔法や超能力で解決する、これでは超能力者以外は解決しなくても良いということになる。全くの「他力本願」だ。現実的な解決を放棄した責任回避だ。困った状況に陥ればとっておきの魔法で解決するという安易な物語設定にも呆れる。本来、知恵と努力で切り抜けるべきことを魔法や超能力で一件落着、これではまるで水戸黄門の印籠だ。
確かに昔から子供は超人的なものに憧れていた。「鉄腕アトム」や「仮面ライダー」などが代表例だ。しかしこれらのヒーローには裏の問題提起があった。鉄腕アトムの場合はロボットの人権であり、差別や動物愛護などについて根底から問い掛ける重いテーマだった。仮面ライダーにも人造人間としての苦悩が描かれていた。原作者の石森章太郎氏の1960年代の作品には「ミュータント・サブ」という超能力者の漫画があり、タイトルから想像できるとおり例外者(怪物)としての孤独が大きなテーマだった。
現代の魔法や超能力の漫画にはこんな重いテーマは無い。特別な能力を持ったヒーローが一般人とは懸け離れた活躍をするだけだ。魔法使いと超能力者以外を衆愚として蔑むエリート主義だ。たとえ漫画であろうともオカルト頼りになることは、通常の能力の蔑視であり主体性の喪失とさえ思える。
確かに昔から子供は超人的なものに憧れていた。「鉄腕アトム」や「仮面ライダー」などが代表例だ。しかしこれらのヒーローには裏の問題提起があった。鉄腕アトムの場合はロボットの人権であり、差別や動物愛護などについて根底から問い掛ける重いテーマだった。仮面ライダーにも人造人間としての苦悩が描かれていた。原作者の石森章太郎氏の1960年代の作品には「ミュータント・サブ」という超能力者の漫画があり、タイトルから想像できるとおり例外者(怪物)としての孤独が大きなテーマだった。
現代の魔法や超能力の漫画にはこんな重いテーマは無い。特別な能力を持ったヒーローが一般人とは懸け離れた活躍をするだけだ。魔法使いと超能力者以外を衆愚として蔑むエリート主義だ。たとえ漫画であろうともオカルト頼りになることは、通常の能力の蔑視であり主体性の喪失とさえ思える。