日本人は決して音楽が嫌いな訳ではないのになぜかハーモニーに対する理解が乏しい。西洋人は合唱をしようとするが日本人は斉唱をしようとする。これは音楽教育に問題があるのかも知れない。私が受けた教育は明らかに独唱と斉唱に偏っていた。一番楽しい筈の合唱の教育が不充分だった。
合唱をすれば音楽の楽しみが大きく広がる。言わば1+1=3になる。斉唱をしても1+1=1.5にしかならない。一人では和音を楽しめない。二人以上がいて初めて得られる楽しみだ。
今では見掛けないが昔は見栄えのしないオジさんたちの男声合唱団がいた。デュークエイセスとダークダックスは特に人気があった。彼らは高音のテノールから低音のバスまでそれぞれが異なった声質のメンバーで構成され重層的なハーモニーが特長だった。彼らの歌声は濃厚で豊潤なスープのように味わい深く、それと比べれば現代日本のアイドルグループの歌は金太郎飴のように薄っぺらい。
これは均一性を好む国民性が災いしているのかも知れない。議論して最も実りが多いのは違った意見の人との議論だ。知らなかった背景や思い掛けない視点からの意見を知れば思考が深まる。敢えてヘーゲルの術語を借りれば「正」が「反」を理解して「合」へと止揚する。フランス人は99%同意していても更に残りの1%について議論したがるらしい。日本人なら異なる1%を無視して同調してしまう。
人は姿形も考えもそれぞれが違うからこそ楽しい。育った環境も境遇もそれぞれが違うのだから異なった意見を持って当たり前だ。違いを認め合うのが真の民主主義であって多数決ほど非民主的な手法は無い。
合唱をすれば音楽の楽しみが大きく広がる。言わば1+1=3になる。斉唱をしても1+1=1.5にしかならない。一人では和音を楽しめない。二人以上がいて初めて得られる楽しみだ。
今では見掛けないが昔は見栄えのしないオジさんたちの男声合唱団がいた。デュークエイセスとダークダックスは特に人気があった。彼らは高音のテノールから低音のバスまでそれぞれが異なった声質のメンバーで構成され重層的なハーモニーが特長だった。彼らの歌声は濃厚で豊潤なスープのように味わい深く、それと比べれば現代日本のアイドルグループの歌は金太郎飴のように薄っぺらい。
これは均一性を好む国民性が災いしているのかも知れない。議論して最も実りが多いのは違った意見の人との議論だ。知らなかった背景や思い掛けない視点からの意見を知れば思考が深まる。敢えてヘーゲルの術語を借りれば「正」が「反」を理解して「合」へと止揚する。フランス人は99%同意していても更に残りの1%について議論したがるらしい。日本人なら異なる1%を無視して同調してしまう。
人は姿形も考えもそれぞれが違うからこそ楽しい。育った環境も境遇もそれぞれが違うのだから異なった意見を持って当たり前だ。違いを認め合うのが真の民主主義であって多数決ほど非民主的な手法は無い。