俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

狂人

2016-08-08 11:28:02 | Weblog
 現代人でも熊に襲われたら一溜りも無い。あっさり食われてしまう。川でワニに襲われても同様だ。では文明以前の人類はどうだったのだろうか。猛獣に襲われることを恐れる臆病な集団だっただろう。交代で寝ずの番をして襲われたら総出で騒ぎ立てて追い払うという生き方だったのではないだろうか。
 現代人は雑食だが肉食動物を殆んど食べない。強いて挙げれば狼かジャッカルの末裔と思われる犬を食べる人が少数いるぐらいだ。古代の人類は肉食獣を只管恐れ弱い草食獣だけを食べるひ弱な動物だったのではないだろうか。強きを恐れ弱きを食べるという情けない動物だ。
 そんな時代が数百万年続いた。人類の脳はそんな生活に適応した。猛獣の脅威から逃れられるようになったのはこの数万年だけのことだ。それもまるでサファリパークのように自らが檻に入ることによって得られた安全だ。だから猛獣に対する恐怖は今尚現実的なものだ。
 人は怖い人を恐れる。子供は怖い教師などの年長者を恐れる。大人は無分別な人を怖がる。この恐怖は理性的なものではなく本能的なものだから合理的反応から逸脱し勝ちだ。恐怖に支配された人は合理的に対応する能力を失う。
 知的障害者大量殺害事件の植松容疑者は知的障害者を憎悪していたようだが、私は知的障害者よりも植松容疑者のような精神障害者を警戒する。精神障害者こそ理解することが困難であり何をするか予想できない。
 凶悪犯罪者の大半は狂人だろう。オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚が現在狂人であることは確実だが犯行を指示した時点で既に狂っていたと考えて間違いあるまい。
 マスコミは精神障害者の問題からは逃げ腰だ。松本死刑囚や植松容疑者を精神障害者扱いをしたがらないが、もし彼らが精神障害者でないのなら真の精神障害者とは一体どんな化物なのだろうか。少なくとも彼ら以上に異常でなければ精神障害者の名には値しないのだろう。凶悪犯罪の容疑者を精神障害者扱いしたがらないのは、報道というビジネスの邪魔をされたくないことと彼らを有罪にしたいという願望の現れだろうが、このことによって多くの人は「真の狂人」として化物を想像することになる。狂人とはきっと無差別に殺害するような人で特定の人を殺そうとするような人は狂人ではないのだろうか。しかし危険性という尺度も加味するなら、他害性を持つ狂人こそ最も危険だろう。19人を殺して尚自らを正義と信じる植松容疑者が狂人でないのなら、被害者を食べてしまわない限り犯罪者が狂人扱いされることなど殆んどあるまい。狂人と見なすためのハードルが高過ぎる。